まあ・・・ええんじゃない?

勝手気儘にだらけたお話しませう。








  • 2017/06 «
  • 10 
  • 11 
  • 12 
  • 13 
  • 14 
  • 15 
  • 16 
  • 17 
  • 18 
  • 19 
  • 20 
  • 21 
  • 22 
  • 23 
  • 24 
  • 25 
  • 26 
  • 27 
  • 28 
  • 29 
  • 30 
  • 31 
  • » 2017/08

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。


ゆるされた!あとは・・・。

WASP精神は地に堕ちた!/養老孟司(東京大学名誉教授)、渡部昇一(上智大学名誉教授)
1月10日(土) Voice

◇「別の国になりました」◇

 渡部 いよいよオバマが大統領として就任するわけですが、選挙期間中は、黒人であるオバマは結局、大統領に選ばれないのではないかとする見方も根強くありましたね。たしかに、かつて奴隷制度のあったアメリカで黒人大統領が選出されるというのは、日本に引き付けて考えれば、本来公家に「さぶらふ(=従う)」家来だった侍、つまり武士たちが鎌倉に幕府をつくってしまったぐらいの印象かもしれません。オバマ自身は奴隷の子孫ではなくて、ケニアからの留学生だった父と白人女性とのあいだに生まれた子供ですが、やはり非白人が大統領に就任することの意味は大きいと思います。

 養老 まさにおっしゃるとおり、そのぐらいのインパクトはあるかもしれませんね。

 渡部 イギリスの作家ギルバート・ケイス・チェスタトンの弟のセシル・チェスタトンが『アメリカ史』という本を書いているのですが、そのなかで私がいちばんハッとしたのは、「アメリカは中世抜きで発生した国である」と見ていることでした。アメリカを考えるうえで、これはじつに正鵠を射た見方だと思います。

 アメリカ建国の父となった人たちは、皆ピューリタンでした。もちろん新教徒ですから全部カトリックには反対です。アメリカで国を建てるとき何を理想にしたかといえば、彼らが読んでいたのは『旧約聖書』が主でしたが、教養としてもっていたのはギリシャ・ローマ文明の知識だったわけです。だからアメリカの多くの公的な建物もギリシャ・ローマ風に造られていて、中世的なゴシックは建てられていません。

 しかし、中世を抜かしたために、抜け落ちたものが2つあるというのです。1つは奴隷制度、もう1つは騎士道です。

 いうまでもなくギリシャ・ローマ文明は奴隷制度に立脚した文明でした。ヨーロッパ中世はその後1000年かけて奴隷をなくしたわけですが、それを無視し、ギリシャ・ローマに倣ったことで、アメリカでは大規模な奴隷制が復活します。

 また、騎士道がなくなったために戦争に対する考え方が変わりました。国際法は元来、騎士道を基にしています。騎士道で決闘した場合、どちらがよいも悪いもない。お互いが作法をきっちり守ればよい、と考えるわけです。だから、これを前提にした国際法では、戦争が悪いという発想はありません。ところがアメリカは、インディアンと戦って、インディアンの土地を奪っているのに、インディアンは悪者扱い(笑)。中世が抜けているから、敵を「尊敬するに値するもの」とは考えず、対等の敵とは見なさないわけです。

 第一次大戦にアメリカは参加しましたが、ヨーロッパにまだ力があったから、アメリカも従来のルールにだいたいは従いました。ところが第二次大戦はアメリカの独り勝ちだったから、そんな配慮もない。アメリカのルールに従って敗者を裁いたわけです。まさに日本はその犠牲者でしたね。

 養老 たまたま知人と食事をしたときに似たような話になりました。たとえば、ヨーロッパでは機関銃の使用に心理的な抵抗があった。いわば無差別殺人ですからね。それを抵抗なく取り入れたのがアメリカ。つまり、「人間」とは見ていない有色人種を「処理」する発想が根底にはあったのだ、と。第一次大戦までは、戦争は「決闘型」でした。戦争するのはスナイパーで、1人ひとりが相手を狙って撃つ。歩兵は輜重を守ったり、スナイパーの背後を確保する役割を担っていた。そのような戦争のルールを崩したのがアメリカだというのは、きっと世界の常識となっているのでしょう。しかし皮肉なことに、そのアメリカがベトナム戦争ではゲリラ戦というルール外れの戦いでひどい目に遭いました。

 渡部 たしかにベトナム戦争は大きな曲がり角でした。私は1968年から69年まで、ベトナム戦争の最中にアメリカの大学で教鞭を執ったのですが、あの1年は、ちょうど境目だったという実感があります。行った当初はまだ、「かつてのアメリカ」でした。南部のノースカロライナの大学の広大なキャンパスに、先生も学生も皆、車で来るのですが、車を停めても鍵は挿しっ放し(笑)。誰も盗まないからです。それが帰国するころになると、学生たちが騒ぎだしたり、ウッドストックでロックコンサートの大騒ぎがあったり、黒人運動が盛んになったり、さまざまな事が起きはじめた。私がニュージャージーにいたときに下宿していたおばあさんから、「あなたがいたときから、わずか1年しかたたないけれど、アメリカは別の国になりました」というクリスマスカードをもらったことを、印象深く覚えています。

 女性が台頭したのも70年あたりですね。元来アメリカの文化はWASP(ホワイト・アングロサクソン・プロテスタント)で、聖書を厳格に重んじるピューリタンたちですから、女性蔑視が当たり前でした。メイフラワー誓約書に署名したのは男だけで、女性は署名する資格などなかった。独立宣言も「All men are created equal(すべてのmenは平等につくられている)」であって、「women」は入らない。

 黒人問題も女性問題も、アメリカ建国の精神背景にもかかわるような根深い問題ですから、争いが半永久的に続くのかと思ったら、いつの間にかアメリカは、両方とも体制のなかに取り込み、解決しました。あれには驚かされた(笑)。今日では黒人も女性も大統領候補として出馬するという大変化です。これによってアメリカが力を伸ばすのか、それともほころびになるかはまだわかりませんが。

◇日本はアメリカだったんじゃないか◇

 養老 60年代末はアメリカの黄金時代の最後の時期でしたね。アメリカでは、外の世界とはかかわらないという「モンロー主義」が絶えず顔を出しますが、それは自国産出の石油を無限に使える状況の下で成り立つ議論だった。70年を境にアメリカはモンロー主義をとれなくなります。というのも、アメリカはそこを境に石油輸入国になるからです。

 渡部 われわれの世代にとってアメリカは石油大国というイメージでした。日本が戦争に踏み切らざるをえなくなったのも、アメリカに石油を禁輸されたからです。そのアメリカが、石油輸入国になるとは夢にも思わなかった(笑)。

 養老 石油を輸入しなければならないことになると、アメリカはOPECはじめ有色人種の国にも考慮を払わなければならなくなる。そうすると国内でも、見事に黒人問題その他が当然浮上してきます。アメリカのリーダー層も、心のなかに何らかの差別意識があったとしても、有色人種の国から石油を入れなければ社会を維持できないとわかっている以上、背に腹は代えられないわけです。そこで何が起きるか。

 旧ソ連の場合は、それで国が崩壊してしまったともいえる。つまり、じつは21世紀に入ってソ連国内のイスラムの人口のほうが増えてしまうことがわかっていた。だから、分解していまのような形にしたほうが、ロシアという国をピュアに保てるという判断です。ところがアメリカは、ある意味で優秀な人材を吸収できる社会ではあった。たとえば戦後、アメリカ医学を支えた下働きは日本人でした。それ以前はナチから逃げたヨーロッパ系ユダヤ人。いまは中国人です。

 渡部 それでも感心なのは、格差社会といわれるアメリカで、アメリカから他国へ移民したがる人がいないことです。アメリカが自由に移民を受け入れるといえば、インドや中国からはおそらく億単位で行きたがるでしょう。移民として行きたがらないのは日本人くらいじゃないですか(笑)。

 養老 そこで非常に面白いと思うのは、日本とアメリカに妙に似たところがあることです。昔、フォードがつくった興味深いコマーシャルがあって、ヨーロッパの民族衣装を着た人たちの集団が坩堝に入っていって、向こう側からアメリカ人の格好で出てくる。たしかにアメリカ社会では、発音しにくいロシア風の名前などはみんな変えて統一していくんですね。それはまさに創氏改名でしょう?(笑)

 僕は、「日本はアメリカだったんじゃないか」という考えをもっているのです。大陸から多種多様な人が来て、吹き溜まりで社会ができたという点で共通しているのです。遺伝子から人類のルーツを調べていくと、だいたい8万年前からアフリカから移動してきていることがわかります。大移動は3回あったということもわかっている。その3回の移動の子孫が全部残っているのが日本なのです。じつはゴチャゴチャに混ざっていて、遺伝的多様性が非常に高い。

 渡部 日本へ来たら、もう先には行けませんから(笑)。

 養老 そうなんです(笑)。何万年もかかり紆余曲折してやって来た人たちの子孫が、吹き溜まったのが日本社会だと考えればいい。

 渡部 はるばる遠方まで来るような人たちの子孫だから、日本人はじつに物好きで物見高いわけだ(笑)。

 養老 それに日本社会が吹き溜まりだと考えると、「和を以て貴しとなす」といわざるをえなかった理由もわかる気がする。むしろ、本当に混ざって1つに溶けた「人種の坩堝」とは日本のことだというのが正しいんですね。

 それと比べると、アメリカ社会は多民族が集まった人種の坩堝とよくいわれますが、本当はそうではなくて、それぞれの文化を保ったままモザイク的に住み分けている。それぞれの民族がいまだ多様性を保っているアメリカは、つまり日本の非常に古い形と見ることもできます。

 渡部 アメリカ太平洋艦隊の司令官を務めたスプルーアンス提督の自叙伝によると、アメリカ海軍は有色人種を厨房以外には使わなかったといいます。というのは、兵隊にして使うと出世して部下を付けることになる。しかし白人を有色人種の部下にしたらとても秩序が維持できないというのです。その点、日本軍では台湾や朝鮮の人で中将や部隊長になった人がいた。たしかに融合の仕方は日本のほうが先輩です。

 今後、アメリカが完全に分離したサラダボウル的な住み分けの世界になるのか、それとも融合していくのか、その道筋はまだ見えません。しかし、理念としてのアメリカに強烈に反応するアメリカ人がいることは、オバマの演説からもわかる。たしかにオバマの勝利は、融合への第一歩なのかもしれません。ただ、「リンカーン大統領が暗殺されることで北部と南部の統一が進んだように、オバマも殺されて、有色人種と白人とを統一することになるのでは」などと極端なことをいう人もいますね。

 養老 それが「ありえない話」ではないのが、アメリカ社会の怖いところではあります。

◇知恵出でて大偽あり◇

 渡部 いま、金融危機も大きな問題ですが、そもそも何がおかしかったかといえば、1971年にニクソン・ショックが起き、アメリカが金本位制を守れなくなったことではないでしょうか。戦後30年近く続いた金本位制が崩壊して、ペーパーマネーが「基準」になった。そうなれば、基本が紙なんですからやがては「刷ればいい」ということになって、どうやっても極端まで行ってしまう。日本でも江戸時代に各藩で小判が足りなくなると藩札を刷ったものですが、それがいまでは世界的な藩札制度になってしまった(笑)。

 養老 ニクソン・ショックは、やはり戦後世界史の大転換です。そのあとドルが、世界の基軸通貨になって世界中に回るようになりましたが、世界中で流通している膨大なドルがもしアメリカ国内に還流したら、どうなるか。アメリカとしてはそれに見合うサービスと物を国外に提供しなければなりませんが、そんなことはできるはずがない。

 ただでさえ赤字続きのアメリカを下支えしていたのが、日本であり、アジアの新興国でした。しかし皆、いずれ紙切れになるということは知っているわけです。あとは、それがいつかということが問題です。今度の金融危機はその走りでしょう。野口悠紀雄さんが『Voice』(平成20年10月号)で、先般の石油価格の上昇も、じつは金の価値を基準とすると上がっていないと書かれていました。結局、起こったことは何かといえば「紙幣価値の下落」なのです。これだけ紙くずを刷ってしまったものを、どう始末するか。私は、日本がもっているというアメリカ国債なんか、どうせ紙切れなんだから焼いてしまえ、といっているんです(笑)。

 しかも後始末をつけるにしても、そもそも実態が見えない。僕らの経験からしても虫の大きさを本気で測るだけだって大変な話なのだから、あまたの統計数字なんていい加減に決まっている(笑)。もちろんきちんとした数字を出せれば、ある程度将来の予測もつくのですが。

 渡部 日本の金融機関だって、実際どれだけの被害額か、探しはじめたらキリがない感じです。中国もこれで潰れるんじゃないかという人もいるくらいですから。

 養老 僕は、アメリカ社会は「物」で見たほうが確かではないかと思うのです。いまアメリカ人は1人当たりの平均で日本人の4倍、ヨーロッパ人の2倍のエネルギーを使っている。それこそアメリカは「全館暖房の国」なんですよ。僕も若いころ、人がいない部屋を暖めて、じつに無駄な国だと思った。結局、アメリカは安い原油価格で維持されてきた国です。安い燃料で大型トラックの大量輸送をしなければ、あの国はもたない。しかしそれが70年以降の40年で徐々に逼迫してきている。全館暖房なんて元来、不合理なのであって、できなくていい。そこを縮小してどこに向かうか。

 社会そのものをどう効率的に再構築できるかが将来、大きな問題となってくるでしょう。つまり、原油価格がいくらになったら、アメリカのどういう商売が潰れて、どういう商売が成り立つかをシミュレートすれば、基礎的な部分での社会の動きはある程度わかると思うのです。

 その点、日本の「円」って面白い通貨だと思う。石油のような資源が何もなくとも、結構崩れないでもっているわけです。その信用を支えるのは、「日本人が働く」ということ。日本製品の「信用」で食べているのです。その意味では、円は非常に実態に近い通貨だと思います。

 渡部 アメリカ資本主義の勃興期の実業家は、やはりピューリタンで、あぶく銭を儲ける発想は全然なかった。その意味ではじつに実態に近かったといえる(笑)。儲けても、フォードのように財団をつくったり、貧しいときから収入の何割かを寄付しつづけるというメンタリティが主流にあった。これがWASPであり、それゆえ尊敬もされたのです。ハーバード大学もイェール大学も、元来は牧師をつくる学校でしたが、そこにどんどん寄付する人がいて、いい学者が世界から集まってくる。経済と道徳が結びついていたのです。

 やはりアメリカは、金本位制を捨ててから無責任感が出てきました。それからもう1つ大きかったのは、日本の儲けたお金をスッとアメリカの懐に還流させる仕組みをつくったこと。あれから彼らは悪いことを考えはじめましたね。

 ここ10年ほどで、サブプライムをはじめ、訳がわからないものを膨れさせた。それ以前はまだ、われわれにもわかる経済でした。ところが金融工学などという訳のわからないものが出てきた。「どうもわからない、いったい何だ」と見ていたら、要するにインチキだったわけです(笑)。

 経済の崩壊がアメリカから始まったのは、道徳が崩れたからです。サブプライムでも、払えないことが明白な相手に無責任に金を貸し、それを証券化して世界中に売り払い、さらに、そういう奇妙な金融商品を格付けする会社が出て、インチキ商品にトリプルAを付け出したから変になった。粉飾会計が明るみに出て2001年に破綻したエンロンの事件も、まさにモラルの崩れです。

 老子の言葉に、「知恵出でて大偽あり」というのがありますが、本当に大きなインチキが出たという感じです。ロックフェラーやフォードが生きていた時代には、小さなところではいっぱいインチキがあったでしょうが、やはり「大偽」はなかったと思うのです。そこは神と直接向き合うピューリタンの心をもつ人が多くいましたから。

◇欲望に他律的なピューリタン◇

 養老 やはり、いまのアメリカ経済は典型的に仮想世界で動いている。仮想世界に入り込んだ人を元へ戻す方法は1つしかない。自然、つまり実在に触れさせることです。

 アメリカはもともと都市文明で、農民までが徹底的な資本家になっています。だから農場も日本と違い、大型化し、経済効率を追い、大量の穀物を生産する。すると今度は売り先がないから、さまざまな問題が起きるわけです。そこで、石油危機をいいことに、バイオエタノールを積極推進して、中西部で困っていたトウモロコシの過剰生産がはけ、農家はホクホク。このブッシュ政権の政策は、「アメリカの視点」では大成功だったと思います。そういう計算ずくや、汗をかかない精神が、日本にもずっと入ってきました。

 いま渡部さんから道徳と経済の問題のご指摘がありましたが、そのような物事の根本は、実際に自然に触れ合っていればわかりきった話であるはずなのです。しかし都会に住んで、理屈だけで考えると、「行ける」と思ってしまう。じつに変な世界だと思います。それで行くとこまで行ってしまったのがビル・ゲイツやグーグルに象徴される考え方だといえるかもしれません。

 しかし、少なくとも人間は「自分の身体」という「自然」とともに生きている。アメリカ人の偏りを端的に示すものこそ、身体の問題が見事にお留守になっていることです。肥満の問題は典型的にそうです。タバコの問題でも、アメリカのタバコ好きというのは本当にチェーンスモーカーなのです。

 アメリカ人は独立心が強いように見えて、じつは自分自身の欲望についてきわめて他律的ではないかと思う。以前、テレビに出た主婦が、「政府に賭博を禁止してほしい」と訴えているのを見たことがあります。あると自分がやってしまうから、と。こういう精神だから、禁煙だとか禁酒などといった「変なこと」に、じつにうるさい(笑)。

 渡部 禁酒法という「天下のアホ法」をつくったのもアメリカです(笑)。もともとピューリタンには他律的に抑えようとするところがあるのです。たとえばオランダの古い街の家々は、道に面した窓が非常に広い。自分たちの生活が道から見えるようにして、不道徳なことはしていないことを互いに監視し合った。そうすれば道徳的には高くありえるのでしょうが、しかしやはり崩れやすくもあります。逆にスペインの家は、外から見るとどこに窓があるのかわからないけれど、中庭があって内側に開いている。自分の罪を告解(懺悔)することで神の赦しが得られると考えるカトリックと、そうは考えないプロテスタントの違いが如実に表れます。

 養老 そこは日本との比較でも面白いところですね。日本では外に出れば「世間様」がうるさかったけれど、家のなかはまさに「家の自治」だった。つまり世間の縛りがかかったのは「家」に対してなのです。外に出たときはその家の代表ないし一員として行動するという縛りがかかるけれども、家のなかはどこまでも私的空間。だから、昔から日本ではかなりの貧乏人でも、どんなにボロボロでも家を塀で囲いました。オランダの窓の広い家とはまったく逆の発想です。

 嫁・姑問題も家の問題。それぞれの家がそれぞれの私的空間だったから、別の家に入るとルールが違う。そのルールを教えるのが姑の役目なのであって、なにもいじめるのが仕事だったのではない(笑)。つまり、姑自身も別ルールの家から嫁いで来て、それに従う体験を過去にしている。そうして代々やってきた。戦後日本は、家単位が個人単位に振り変わって、そのあたりのことがかなり忘れられてしまいました。だから非常にいろんな問題が起こってきているのです。

◇グーグルだけでは食べてはいけない◇

 渡部 ただ、アメリカが凄いと思うのは、この10年ほどであっという間にインターネットの時代になった。その前にはカード社会になった。このようなものはアメリカ以外からは出そうもなかったものです。今後何が出るかわからない。

 養老 たしかに便利ですが、しかし裏もある(笑)。インターネットにつぎ込む時間は日本の若い人でもおそらく数時間に上りますが、やはりこれは文字の発明にも匹敵する革命的変化です。しかし、ソクラテスがこれを見たら大いに怒るのではないかと思わずにおれない。つまり彼は、紙に書かれた文字の文化を「感性的な罠に落ちていて、批判的思考力を養わない」と否定したわけです。この傾向は、インターネットでもっとひどくなったわけです。問題は人間が生物として、そのような革命に適合するようにつくられているのかどうか、ということです。進化論の自然選択の考えでいけば、この革命に適した人しか生き残れないということになるのでしょう。人間があたかも「情報」のように扱われていく社会です。ところが、人間はそもそも情報ではないし、時間とともに変わっていくものです。この問題をアメリカのインターネット文化がどういうふうに将来、解決していくのか。そうとう難しい問題を同時に生み出しているのです。

 いまはカントもシェークスピアも、インターネットですべて読むことができる。15、6世紀の古い英語の文献はすべて読める。学問はグーグルの世界に閉じ込められてしまう。こういう状況で人間が利口になるわけがありません。いま学位論文の審査も意味がなくなってきている。インターネットからどう「切り貼り」しているかわかりませんから。

 渡部 カトリックでは聖書を読むのは神父たちだけで、しかも勝手な解釈をしないようにローマ教会が抑えつけていた。それが聖書を印刷し、庶民が読んで勝手に解釈するようになったのが宗教革命です。インターネットはさらにそれを上回る革命かもしれません。しかし、大学の論文の審査は逆に、すべて口頭試問になるかもしれませんな(笑)。

 養老 プリミティブなところに戻らざるをえない状況に来ていると思いますね。最後にやはり顔を見て、1対1のシステムが復活する。そのときアメリカがどう行動するかですね。昔ながらの素朴な商売は需要を探すものでしたが、アメリカ型の資本主義というものは、むしろ需要そのものを作り出すものになっている。典型的なのがビル・ゲイツです。アメリカでも頭のいい連中は当然、オイルの終焉を見切っている。それを見切った連中が情報に動いた。しかもアメリカはモノづくりからも離れていってしまっている。これは結構危ないのではないかと思うのです。

 渡部 戦前、日本製のリヤカーのタイヤはすぐダメになるのに、ダンロップのタイヤは壊れない。戦争になったとき私の母親は「こんなタイヤをつくれる国と戦争していいのかな」といっていましたが、まさにあのころは先進国とは、製造品のいい国だったのです。私が最初にアメリカに行ったとき、GE(ゼネラル・エレクトリック)の大きな冷蔵庫に感激して買いました。冷房機もGEで、じつはどちらもまだ現役で動いています。あの時代のものは少し電気を食うかもしれませんが、壊れない(笑)。しかしいまやGEは電気製品の製造を大幅に縮小しています。GM(ゼネラル・モーターズ)も大変な苦境にある。この2つのGは、われわれの世代にはアメリカの国力そのものだった。恐ろしいことに、そのシンボルが2つとも消えかかっている。

 養老 モノづくりは結局、本気でどこまで作り込めるかという精神性が問題となるのでしょう。そこが至らないと故障や重大事故を巻き起こすことだってある。

 その点、情報産業は楽です。人命にかかわらない。「ソフトにはバグがあっても当たり前」というところがあります。しかしこれを続けると甘くなる。一度甘くなってしまうと、復活する方向へモチベーションを高めるのは非常に難しいのではないかと思う。だから、実体が非常に怪しくなり、世間を言葉で動かすことが中心になり、弁護士が増える(笑)。アメリカの文化はいま、やはり一種のエリート主義で、トップに行くのは弁護士です。そういう世界に慣れている人は、世界を自分がつくれると思っている。しかし、理系の僕らからすると、「勝手につくってるんだろう、おまえらが」としか見えない(笑)。たとえば医者になれば、人間の身体には「向こうの都合」があってどうにもならないことがある、と否応なく叩き込まれますから。しかしアメリカ人は案外そういう考えを無視するのです。だから乱暴なことをする。

 そのような社会が人間にとって幸せかどうかを、個々人の問題にしていかなければいけないでしょう。「人間そのものがどういうものか」とか、「人間の幸せとは何か」を考えない情報文化では、アメリカに未来はありません。グーグルだけあっても、人間食べてはいけませんから(笑)。

 渡部 アメリカの振り見て、わが振り直せ、です(笑)。

小難しい用語が矢鱈に出て来て、一部若干理解出来無処も有りましょうが、全体を通してご覧になれば、大体は理解出来るものと信じています。下手な用語が出て来るのは、お偉いさんがそれを用いているが故なのです。本物の阿呆には理解させない為でも有ります。

さて、件の引用記事の云わんとする処は、詰まる処、日本国万々歳です。完全にアメ公に気触れるは、亡国への一途です。然し乍ら、若干のアメ公気触れは、いいとこ取りを前提とすれば、大歓迎です。いいとこ取りだけに限定さえ出来ていたのなら、悲惨な状況から隔絶出来ていたでしょう。

それが出来なかったのは、アメ公の圧力に屈したからではありません。悪徳な輩が大歓迎を催したからです。悪名高い企業や政治屋、ペテン師等々が我々をペテンに貶める為に、狡賢く利用したが正解です。輩の所為で日本システムが完全瓦解してしまいました。

輩の現在は、更なる悪巧みを講じています。いや逃げ口を模索しているだけかも知れません。トヨタ自動車株式会社が創業者の曾孫に経営実権を移すのも、悪徳な輩が逃げる為の口実に過ぎません。そんな絡繰りを頭に入れておくと、悪徳企業の今後が理解出来ます。

そんな輩に赦しは絶対禁です。須く天誅を下すべきです。嘗ては合法でした。合法だったのにアメ公が無理強いして禁止とされたのです。然し乍ら、日本国憲法には、世間様に悪徳を働いた輩には天誅を下しても構わない旨が記されています。勿論其の儘その旨が記されている訳では有りません。見えない解釈にその旨が窺えるのです。革命が是とする根拠も然りです。だから、嘗ての極左やオウム真理教が企てを目論んでいたでは有りませんか。


コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

http://eenjanai.blog41.fc2.com/tb.php/1121-4f5c295c

 | HOME | 

広 告



PCのウイルス対策ならエフセキュアインターネットセキュリティ


最近の記事



広 告




ブログ内検索

Google


最近のコメント



最近のトラックバック


月別アーカイブ



RSSフィード


リンク

このブログをリンクに追加する


プロフィール

酔仙

Author:酔仙
昭和時代に生まれる。
今まで勝手気儘に生きてきた。
これからも勝手気儘で生きるであろう・・・。


サイト売買のサイトストック


あわせて読みたい


blogram投票ボタン


メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:


カウンター



現在の閲覧者数:


フィードメーター - まあ・・・ええんじゃない?




上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。