まあ・・・ええんじゃない?

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経営理念に文言は要らない/渡邊祐介(PHP総合研究所主任研究員)
1月21日(水) 15時36分配信 Voice

◇存在はしても死に体◇

 昔、若き湯木貞一は一杯85銭の鯛茶漬けを看板に商売を始めた。しかし初日は1人の客もなかった。そこから「一期一会のおもてなし」を志し精進をかさねて幾星霜、名店「吉兆」の暖簾は築かれた。ある客が試みに吉兆に何日も予約を入れつづけたが、同じ料理が1度も出ないことに賛嘆したという。残り物を最初に使い回した瞬間、湯木の崇高な理念は“頭が真っ白”になるずっと前に死んでいたのである。

 近年、企業の不祥事が絶えない。その原因の一端にこうした経営理念の不在や失効が感じられる。そもそも経営理念とは、企業の存在意義を示し、活動していくうえでの正しい指導原理を表明したものだ。上場企業で経営理念を保持していない企業は皆無といってよいだろう。それが存在はしても死に体となっている。

 経営理念について経営学者は、企業倫理、CSR、リスク・マネジメントといった面からアプローチしている。また在野の研究者、コンサルタントも経営理念を見直す動きを見せている。“理念経営”という表現を近ごろよくメディアで見掛けるのは、瀕死になりつつある理念の回帰を主張する意識の表れであろう。

 しかし、啓発だけでは経営理念の効力を組織内に発揮させることにはつながらない。不祥事を起こした企業の経営陣の弁明を聞いてわかるのは、彼らに経営理念に殉じようという覚悟が見当たらないことだ。創業者世代が少なくなった日本企業の宿命かもしれないが、経営理念が実効あるかたちで継承されるためには、経営者の内面にどっしりした精神的基盤を養っておくべきではないか。

 パナソニック創業者、PHP総合研究所創設者・松下幸之助は『実践経営哲学』(PHP文庫)の冒頭で「まず経営理念を確立すること」を挙げた。経営理念を確立して初めて経営の拠り所が生まれ、安定した経営ができるというのである。そしてその成立について松下は「何が正しいかという、一つの人生観、社会観、世界観に深く根ざしたものでなくてはならない」と説いた。社会の真理にそぐうものかどうか濾過されることによって、その理念は社会の公器として認知されるからである。

 そのため松下は、経営者は、人間とは何か、人生と社会はどうあるべきか、といった哲学的な諸課題を自らの精神世界に蔵し、常日頃より涵養していくことが大切だと訴えた。そうした哲学的な思索を経て理念が創造されるためである。

◇社長の背中こそ「綱領」◇

 昭和4年、世界恐慌の余波で企業の倒産が相次ぎ、当時の松下電器も危機に陥った。このとき経営幹部が、従業員を半減するよう松下に進言した。しかし松下は、「従業員を1人も解雇してはならない。工場は半日勤務とし、生産は半減するが、給料は全額を支給する。その代わり、店員は休日返上で在庫の販売に全力をあげるよう」指示した。全店員は快哉を上げ、販売に邁進。2カ月で在庫を一掃し、フル生産に回復させた。

 松下が人員整理をしなかったのは、「人間はダイヤモンドの原石」という人間観をもっていたからであろう。その強い哲理が、危急存亡のときといえども従業員の首を切らない、と瞬時に答えを弾き出したのである。

 阪神高速会長・田中宰はかつてパナソニック副社長として辣腕を振るったが、ある業績の悪い事業場の若き責任者として赴任したとき実験をした。毎日の慣習である「七精神」の唱和をやめさせたのである。社に対する背信的な指示であったが、読む資格がない緩んだ組織だと田中は断じた。さらに締まりのない日が続き、たまりかねて進言してきたのは従業員のほうだった。日を改め、朝、全員で心を込めて読み上げると、皆が声を震わせ瞳を濡らしていた。その日から組織は再生したという。悪条件をつくって刺激を与える有名なホーソン工場の実験に田中もまた成功したのである。

 経営理念とは、文言をお題目として並べればよいというものではない。自社に確固たる理念があっても、経営者がその本質を理解したうえ、社員にも理念を解釈させる機会をつくり、その浸透に努めなければ、人間の集団は理念に反応しないのである。

 極論すれば、経営理念という文言にこだわる必要もないのだ。明文化されていなくとも、零細企業であれば社長の背中こそ「綱領」であり、社長が自ら掃除する行為こそ「信条」である。実際、文言に表現することは陳腐だとして、あえて経営理念をつくらない会社もある。

 経営理念の真の課題とは、つまり継承されるメカニズムの解明なのである。経営者も研究者も、いまこそ経営理念の実体が何なのか、その解明にもっと努力をすべきではないだろうか。

まともな思考を持っていた方が大半で有った時代のお話です。温き昭和時代の話だけでは有りません。何時の世でも嗚呼云ったええ話は良く有ります。教材としては役に立ちますが、まともな思考の持ち主が少数派となった現代で、果たして役に立つでしょうか。

何となく角が立たない様に、その場の空気を読む事に現代人は必死です。その度合が過ぎて良からぬ部分が察する事が出来なくなったのです。いや、相手の胸の内を探る事に必死過ぎて、互いに何が何だか分からなくなって、結果、恐慌を来したと云う感じです。

理念に拘り過ぎて、有益な一期一会が無に帰す場合が有ります。特に人材獲得の面に於いて顕著に表れます。ワンマン経営に勤しんでいる処に多いです。獲得機会に於いて有益が消え去る場合が大半です。下らぬ理念の為に全てが無に帰すのです。

喩えると、何もかも満足した中高年者に「貴方の夢は何ですか?」と聞く様な物です。「五年後の貴方は何をしていますか?」も然りです。夢に燃えている若年者なら分かりますが、満足しているのに夢を強要する様な事を平気で仕出来すのです。聡い貴方なら、「此奴、バカじゃね?」で侮蔑するでしょう。

変に成功した輩に多いタイプです。先程の件で法螺吹き野郎が居たら、喜んで役員に添えてしまう事でしょう。結果、云わずもがなです。理想論も大事ですが、現実論も同じ位大切な事なのです。そのバランスがどちらかに偏り過ぎると、兎角、無能の烙印が押される厳しい世界です。


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