まあ・・・ええんじゃない?

勝手気儘にだらけたお話しませう。








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もくもくとうきあがる・・・。

文化的なタバコの吸い方/山形浩生(評論家兼業サラリーマン)
1月23日(金) 12時41分配信 Voice

◇優雅な水パイプ◇

 本誌が出るころは、ようやくおとそ気分が抜けたころだろうか。正月早々きつい話をするのも何なので、呑気な話から入ろう。喫煙の話だ。

 いま、喫煙者はとても肩身の狭い思いをさせられているのはご存じのとおり。本誌の読者層は喫煙率が高い年齢層だと思われるので、おそらく苦労なさっている方も多いだろう。そして何とか圧力を撥ねのけるべく、「喫煙は文化だ」なんてことを強弁してみたりする。

 この議論には一理ある。ぼくは喫煙者ではないが、多少周りで吸われてもまったく気にならないし、知り合いの愛煙家たちの窮状を見ると気の毒に思うことも多いから、少し擁護してあげたいという気持ちもある。そしてたしかに喫煙には文化的な要素もあるんだが……残念ながら日本の喫煙者がいってもなかなか説得力がない。

 なぜかというと、いまの紙タバコ喫煙はとうてい文化の名前に値するものじゃないからだ。多くの喫煙者は、ただのストレス解消のためにタバコを吸い、それどころかニコチン中毒を抑えるためだけに、1日何箱もチェーンスモーキング。数少ない喫煙所は、吸いだめせんとする愛煙家諸子により煙の充満する燻製室さながら。場所も時間もお構いなしで、指も歯も黄ばんで臭くなってスタイル性もファッション性も皆無。それを文化だといわれましても。

 もともとタバコは、南米で宗教儀式のときに吸ってヘロヘロになったりするためのものだった。そこにはたしかに精神性と文化性があった。限られた場所と設備環境で、ある種のスタイルをもって少し吸うところに文化性がある。日本のキセルだって、そんなやみくもに吸いまくるものじゃない。ちょっと吹かしたらすぐに煙草が切れる。そのせっかちな感じが日本のちょっとせわしない感じにも呼応していたけれど、その道具立てなどには明らかな特色があった。だがいまの紙巻きタバコ全盛の世界にあっては、それが完全に失われている……アラブ圏以外では。

 アラブ圏では、喫煙がまだそうした文化性を維持している。ドバイでもそしてぼくが先日までいたエジプトでも、街角のあちこちに水パイプ(シーシャ)を出すカフェがあるのだ。高さ1メートルくらいのでかいやつを、ぶくぶくいわせながら吸っている様子をテレビなどで見た記憶のある方も多いだろう。

 これはなかなか楽しいものだ。アルコール禁止のイスラム圏でお酒の代わりの嗜好品として機能していて、実際にこれで酔っぱらう人もいるけれど、でも見苦しく泥酔するようなことはほとんどない。タバコとしてはきわめて弱い。このぼくですら何の抵抗もなく吸えるほどだ。

 こうした店は夕方から晩にかけて賑わい、みんな1服を30分、1時間かけて、おしゃべりしたり道行く人を眺めたりしつつ味わっている。細く長く、限られた場所でゆったり吸う優雅なもので、その様子もなかなかスタイリッシュだ。水パイプのデザインもいろいろあって面白い。そこには喫煙が文化として成立している様子が確実に窺えるのだ。

◇キセルバーでも始めては?◇

 それもあってか、水タバコバーは、じつはヨーロッパで増えはじめている(そして禁煙ヒステリーと激戦を繰り広げている)。もちろん、それはトルコ系移民の増加とも関係しているのだけれど。そしてそれとは別に、禁煙の締め付けのなかでも、本当に文化の名前に値する喫煙はもともと何とか逃げ道が用意されているのだ。

 欧米では、それは葉巻だった。ニューヨークでは当初、飲食店での禁煙条例に葉巻は含まれていなかった。またイギリスでは葉巻も含めて商店などのなかでは喫煙禁止となっているのだが、葉巻に関しては「葉巻は吸ってはいけないが、選ぶために味見をするのはおとがめなし」というとんでもない抜け道が用意されている。イギリスらしい嫌みな抜け道ではあるけれど、でも葉巻には、吸うための作法があり、スタイルがある。だからこそこうした抜け道も見逃してもらえる。

 で、どうだろう。たぶん紙巻きタバコは、今後も(いまの締め付けに多少の反動はあるかもしれないが)大幅な復活は望めないだろう。締め付けはさらに強まるだろうし、喫煙人口も減少するので勢力も弱まる。

 だったらここらで、文化性のあるタバコの吸い方を考え直してみちゃいかがか、とぼくは思うのだ。出張でドバイに行く機会でもあったら、水パイプを試してみて、ぜひそこらへんを考えてほしいな、と思う。そして喫煙は文化だと強弁しているニコチン中毒のチェーンスモーカー諸子は、キセルバーでも始めてみてはいかがだろうか? カンカンと灰を落とすのがいささかうるさいかもしれないが、案外受けるんじゃないか。

 そしてそれは文化なるものがいったい何で成立しているのかを考えるための、なかなかよい機会になるんじゃないかとも思うんだが。

今は何処も彼処も禁煙だらけです。大昔は何処も彼処も紫煙が立ち込めていたものでした。本の十何年で環境が激変するとは、非常に面白い現象です。根拠が余り感じられない不確実なデータだけで、環境整備が成されるとは痛快な事です。

余り知られていないデータが有ります。肺癌罹患者急増の原因は紫煙だけでは説明が付かないとされています。癌は御存じの様に切っ掛けが有って数年から数十年掛かって顕在化します。一時にしか浴びていない紫煙云々で全ての主因を決め付ける事自体が可笑しな論理なのです。

切っ掛けは様々な物が関わっています。生まれ乍らも当然ですし、不埒な物質を体内に取り入れてしまった事も然りです。云うなれど、体内で癌発生誘導物質を作り出してしまう自らの身体を呪うべきなのです。自分で癌を発生させているのですから、お門違いも良い処です。

まあ、アスベストや石綿等の様に、完全な人災も有ります。先程の様に自己責任云々で決め付ける事は出来ないのです。お子ちゃま思考一辺倒の輩も支援している嫌煙運動祭りは、表面上は立派な感じに見えますが、裏に回れば・・・国に対する悪辣な利権要求運動祭りが隠されています。

利権ですから、極めて不純な動機です。お金が目的ですから、様々な業界を取り込む事で事を大きくしようとするのは当然でしょう。金満日本医師会を取り込んで不確実なデータ云々を持ち出す理由も何となく分かると云うものです。何時でも義憤に駆られている輩はこの事を知っていますが、立場上、都合が悪いのでシカトを決め込んでいます。


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