まあ・・・ええんじゃない?

勝手気儘にだらけたお話しませう。








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ごねるよりはコネで・・・。

秋田連続児童殺傷 米山豪憲君の両親コメントの全文
4月14日18時17分配信 産経新聞

 米山豪憲君の両親コメント全文(原文まま)

     ◇

 事件から3年余り、裁判は息子の無念を少しでも晴らしてくれるものと信じ戦ってまいりましたが、そのわずかな希望もこのたびの上告断念によって叶わぬ願いとなりました。仙台高検には結果はどうあれ最後まで志を貫いて欲しかった思いが強く、組織的な職務放棄と言わざるを得ないと思います。社会正義の実現を自ら封印し、なおかつ被告に上告される事態をどう受け止めたのか、怒りを通り越し正義感のなさ使命感のなさに失望すら覚えます。

 それとは裏腹に被告のしたたかさ…、己のためであるならば手段をいとわない執念すら感じます。幼い子供の命を虫けらのように葬り自らの欲望、保身を優先させた事実に照らせば鬼畜と化した凶器が底には存在します。

 先般の控訴審判決では(1)「計画的犯行とまではいえず」(2)「利欲的目的を伴うものではない」(3)「著しく執よう・残虐な部類に当るとはいえず」など極刑回避の理由として挙げられており「反省へ向けての意欲が認められないではない」ともありました。

 極刑適用の是非はともかく、客観視しても今回の判決にはなかなか理解できない部分が少なくないように思われます。確定的な殺意のもとに2人の子供を殺害しておきながら、

 (1)計画的と衝動的とで量刑判断が異なること、とっさに生じた殺意に基づく犯行ならば人を殺害しても減刑される理由となりうるのでしょうか。豪憲の事件に関しては計画性がないとはどういう事なのか。簡単には手に入らない防犯スプレーを購入し、車で複数回に渡り対象者を物色し、同級生に声をかけ、また違う近所の同級生・子供達の様子も伺い、最終的にターゲットを絞り込み腰ヒモ、軍手を用意し執拗(しつよう)に首を絞めて確実に殺害しビニールシートに包んで運び、人目につきやすい場所に遺棄し被告の考えたストーリーで第三者があたかも犯人であるかのように見せかけるための殺人を完結している。これで計画性がないと果たしていえるのか甚だ疑問である。計画性の有無とは何を基準にどう判断しているのでしょうか。

 (2)利欲的目的を伴うと認められなければわが子を暗闇の中、橋から突き落とし殺害、嫌疑をそらすために新たに子供を殺害しても減刑される理由となりうるのでしょうか。

 (3)幼い2人の子供を殺害した事実がそもそも残虐極まりない行為ではないのでしょうか。「著しく執よう・残虐な部類に当るとはいえず」とはどういう事なのでしょうか。人を殺害した場合、殺害方法によって刑の重さが違うのはなぜでしょう。拳銃や刃物で一突きなら執拗ではない殺害方法であり減刑されるのでしょうか。どれも一般的な認識とはかけ離れ減刑理由としての理解に苦しむものばかりです。

 一方で両事件当日、その後の逮捕までの周辺住民はじめ、私達やマスコミ取材等への度重なる偽装工作、逮捕後の他者が犯人との責任転嫁、控訴審での記憶が断片的にしかないとの詐病、悪質極まりないこれらの態度がなぜ量刑へ反映されないのか不思議でなりません。人を裁く最も重要な責を負う人間がなぜこれらを理解できないのでしょうか。

 今後も類似した事件の判決にこの判例が影響を及ぼすことも充分に考えうることです。そんな状況を危惧(きぐ)せずにはいられません。

 一審からこの裁判を通し現実的には息子の無念がわずかでも晴れるどころか、この世の無情さにただただ呆然(ぼうぜん)としております。裁判とはだれのために行われるのでしょうか。

 現在のわが国の判例では親が子供1人を殺害した場合、十数年で出所できるようです。無期懲役、無期とは名ばかりで、実際には法務省の統計によると平均20年ほどで刑務所から出られるとのことです。年を追うごとに受刑期間は長期化の傾向にあるようですが、いずれにせよ終身刑ではありません。2人の子供を殺害した罪の重さは法律的にその程度で償えることなのでしょうか。凶悪犯の人権を手厚く保護し多額の税金をつぎ込んで命の保障をし、更正の機会を与え、また社会復帰できる道を切り開いているのです。こうしてみると子供の命が軽視されている現実があります。子供達がこの国の宝であるならば、子供の命がもっと重く受け止められる世の中になる事を切に願わずにはいられません。

米山 勝弘

真智子

被害者遺族が上告を望んでいたにも拘わらず、何故に上告を断念したのか、この一点に尽きます。巷では様々な憶測は流れど、域を出たものは一切有りません。殆どが「?」の最中に有ると云う感じです。聡い貴方でもかなり難しいものと思われます。

あの地域と云いますか、広い意味での地域特性に問題点が孕んでいたからかも知れません。余り公に出来ない地域事情が有るからです。最高裁判所で余り大っぴらにしたくない故に、関係者云々からの要請が有ったのでしょう。

判例重視主義と云いますが、形式張ったお役所事に準じ過ぎたのも影響しているかも知れません。最高裁判所で積み上げられた絶対的判例に則すれば、上告等すべきではないと云う内規事情が絡んでいたのでしょう。それを鑑みて、即上告断念と相成った感じです。

近々実施される裁判員制度に絡んで、上告を断念する事を強いられた感じも窺えます。ええ、余計な面倒事が増やされる事を嫌ったが故です。因みに、同時期に気狂い学習塾講師が小学女子児童を殺害した件も何故か上告断念となっています。この件を鑑みても、明白と云わずにして何と云いましょうか。

以上は憶測に過ぎません。本音としては裁判員制度云々でしょうか。建前としては、形式至上に則ったと云うしか有りません。アメ公が押し付けた制度にこれ以上振り回されるのは、余計な面倒事を増やすばかりか、悪影響増大に拍車を掛けているとしか思えません。泣いている方々の怨嗟の声が渦巻いている日本です。


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