まあ・・・ええんじゃない?

勝手気儘にだらけたお話しませう。








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ほこりをすてたときにおわるもの・・・。

愛国心なき経営者は職を去れ/西尾幹二(評論家)
4月20日(火) Voice

◇苦々しいリンチ事件◇

 2年前のあるサイトに次のような言葉があった。

「トヨタ自動車が米国に進出してから50年になる。2007年には年間生産台数でゼネラルモータース(GM)を抜いて世界一になるのが確実となった。しかしながら、今回、世界大戦前からずっと世界NO.1の生産を続けてきたGMをトップの座から引きずり落とし、アメリカ人達の誇り高き感情を逆なでしたトヨタに対しては、1980年代の日米貿易摩擦の際に起きた日本車不買運動の時以上の反感に繋がり、今後、それが米国内におけるトヨタ車販売にとっての大きなマイナス要因になって来ることも考えられるのではないだろうか」(「マサオの徒然日記」2007・12・29)

 ごく普通の常識的予見であったと思う。1980年に日本が自動車生産台数1000万台に達し世界一になったとき、アメリカから「どっちの国が戦勝国なのか!」というヒステリックな声があがった。トヨタが一社で世界一になった2年前にこれを思い出し、トヨタは危いと私なども不吉な予感を持った。80年代を通じアメリカの製造業は日本に敗れつづけた。ソ連を倒して冷戦を勝ち抜いたアメリカが90年代初頭に「戦勝国は日本だったのか」と再び悲鳴に近い憤怒の声をあげたのを思い出せばなおさらである。

 90年代は一転してバブルが崩壊し、日本が不利になった。1993年からビル・クリントンの民主党政権は内向きで、日本叩きに余念がなく、規制緩和と市場開放の名の下に日本経済の独自なシステムを一つ一つ解体した。主にアメリカに進出した金融業、銀行・証券・保険会社を標的に潰しにかかり、大蔵官僚をも追い詰めた。日本は当時、自分が何をされ、自分の何が壊されているのか分らなかったのだ。

 クリントンは中国寄りの政策をとった。人民元を60%も切り下げて中国の輸出増大に貢献し、30分の1の生産費で賄える中国にアメリカの製造業を移して生き残りを図った。トウ小平の「先富論」(豊かになれる者から先に豊かになればよい)が出されたのは1992年である。中国の生産力が外国の資本と技術で上向きになったのはこれより大分後だが、しかし考えてみればまだ十数年しか経っていないのである。そして、アメリカの製造業はそれでも復活せず、中国製品がアメリカ市場に溢れる結果となっている。

 アメリカの自動車産業は勝手に自分で倒れたのであって、トヨタの責任でも日本の責任でもない。しかし覇権国アメリカは、軍事的に従属している国を経済的にも封じ込めるのは当然と考え、そのためにはどんな悪辣な手段を用いてもよいと信じているはずである。内向きに利己的な民主党政権はとくにそうだった。クリントン時代の日本企業への苦々しいリンチ事件を三つ挙げておく。

 日米スパコン貿易摩擦(1996年)。NECのSXシリーズを筆頭にスーパーコンピュータの対米輸出において、スーパー301条を基にアンチダンピング課税としてなんと454%というとんでもない税を賦課させられた。これにより、NEC、日立、富士通など数社あったスパコンメーカーは撤退を余儀なくされた。

 米国三菱自動車セクハラ事件(1996年)。なにか具体的なセクハラがあった事件ではない。日本では女性は第二の劣等の性で、女性社員にお茶酌みしかさせない女性蔑視の慣習があり、それをアメリカ社会に持ち込んだのは許せない、という集団訴訟が起こされた。余りにも不当な言いがかりなので三菱は受けて立った。ところが、そのような対応が生意気だということで『ワシントン・ポスト』や『ニューヨーク・タイムズ』による大規模なジャパンバッシング、消費者からの不買運動を経て、やっと最後には約48億円の支払いで和解が成立した。

 東芝フロッピーディスク訴訟(1999年)。東芝のノートパソコンにおいて、フロッピーディスクドライブを制御するICのマイクロコードに一部不具合があり、書き込みエラーが発生してデータ破壊につながる可能性が生じ、これは保証違反であるとして、損害賠償を訴えられ、和解費用は1100億円にも達した。

 いずれも懲罰的動機の色濃い不当かつ悪辣な事件である。大量破壊兵器の存在の可能性を言いがかりにしてイラクに攻め込んだのと似たような野蛮で無法な行動である。

 とりわけ自動車産業は自他ともにアメリカ文明の象徴と見なされている。しかもGMは今では国家救済の対象で、最大の株主はアメリカ政府である。GMの従業員はオバマ政権の大切な地盤であり、失業させるわけにいかない。

 そうはいってもハイブリッド車でいまやGMはトヨタの技術に追いつきそうもない。リチウムイオン電池もソニーの製品である。アメリカ人はプライドをずたずたに傷つけられていると見てよいであろう。

 アメリカの覇権の崩壊を国民に印象づけているのは中国の台頭ではなく、技術の敗北と資本主義経営の行き詰まりであろう。自動車産業はその代表例である。今や尋常な手段ではとうてい取り戻せないと思っているに違いない。不当な手段を用いてでも逆襲しなければ一気に事態を挽回できない。道路交通安全局を使い、トヨタを罠にはめるトリックを駆使してでも、何としてでもGM復活のプログラムを画策しなくてはならない、と。

 本当に国を挙げてそう思っているというのではなく、そういう情動が何となくあって、いったん誰かが火を点ければヒステリーが米国マスコミを蔽うという意味である。そして実際その通りになった。汚い手を用いた逆襲劇が最終的に成功するかどうかは、アメリカにも良識があり、反省意識があるので今の段階ではどちらに傾くか分らない微妙な情勢だと思うが、底流には追い詰められた国家意識、手負い獅子になっているアメリカ国民の集合感情がある。

 日本ではNO.1になったトヨタの驕りと油断が論じられ、トップとしての危機管理の欠如、新社長の経験不足が取り沙汰されたりしたが、果してそういうことだろうか。あるいはまた日本の政権交代の迷い、小沢一郎の中国詣でや鳩山由紀夫のアメリカ抜きの東アジア共同体構想、普天間基地問題の不透明がトヨタの不運にはね返っているのだという人もいる。後者については、自民党時代には日米同盟が曲りなりにも機能していたので、日本政府が米国政府に側面支援を働きかけていた効果もたしかに期待できた。今は鳩山内閣が国家としての役割をまるきり放棄している。その影響には厳しいものがあると思う。

 ただ今度のようなアメリカのマスメディアが一方的に興奮する光景をみていると、トヨタ問題は日米同盟うんぬんよりも、どこまでも国家の自尊に関わる政治問題である。それも歴史に根ざしたアメリカと日本の国家的感情の正面からの衝突の問題だと考えたほうが腑に落ちる。技術の問題でも、経営の問題でも、現政府間の軋轢の問題でもない。もっと根が深い。そう見なければ問題は本当の解決につながらないし、未来への教訓にもならない。

◇20世紀初頭の日米関係◇

 トヨタ叩きが表面化してから、私には「いつか来た道」という言葉が思い浮かんでいた。

 1906年サンフランシスコの地震と火災の最中に日本からやって来た移民は略奪、暴行を受けた。カリフォルニア州議会も公然と日本人迫害の側に立ち、学童を東洋人学校に隔離するなどの法案を通した。バルチック艦隊を破った日本海軍が米国西海岸に今にも攻撃の手を伸ばしてくると、新聞はヒステリックな言葉を並べた。セオドア・ルーズベルト大統領は日本人移民数の制限策という手を打った。しかしヨーロッパからの移民に比べると、日本人移民は取るに足らない数だった。20世紀最初の四半世紀の間に渡米した日本人の数は同じ時期のヨーロッパ人移民の1カ月分にも及ばなかった。

 このとき大統領はなんと対日戦争計画について下問している。海軍大学では日米戦争のシナリオをあらためて検討し、「開戦直前にとられるべき準備行動」のプランを作成しさえした。

 1908年、16隻の戦艦で構成された米国艦隊が世界一周を口実に日本に向かってきた。時が時だけに世界は緊張した。パリの新聞は日米戦争必至と書き立て、日本の外債は暴落した。日本政府はあわてた。国をあげて米艦隊を歓迎し、恭順の意を表する作戦で難を逃れた。日本海軍は一時的に猫をかぶったわけだが、米艦隊が立ち去った後、小笠原沖で大演習をした。

 米船団は全艦白いペンキで塗られていたので、「白船来航」と呼ばれたこの事件に示された米国の意図が、「黒船」を思い出させようとした砲艦外交風の威嚇にあったことは明らかだった。親日的と信じられていたセオドア・ルーズベルト大統領は、当時「日本人は勤勉で節倹精神に富んでいるのでカリフォルニアが彼らを締め出そうとするのも無理はない」と書いていた。勤勉、節倹などはその頃アメリカ社会でも理想とされ、アメリカ人の長所と見なされていたはずなのに、である。

 理想主義者といわれていたウィルソン大統領は、「日本人と親密な交際をしたくないという暗黙の願いがあるからこそ、トラブルが生じるのだ。日本人はアメリカ人と同じレベルではないというわれわれの気持は、微妙でデリケート、そして根源的なもので、人間のプライドに触れてくるものがある」。

 これは明確に人種差別主義者の言葉である。第一次大戦後のベルサイユ会議で日本代表が提案した人種差別撤廃案を、オーストラリア代表と手を携えて葬ったのはこの大統領である。アメリカのWASP(ホワイト・アングロサクソン・プロテスタント)の人種偏見はオーストラリアの白豪主義と通じ合うものがある。そしてカリフォルニアの日本人移民差別問題と、ベルサイユ会議での人種差別撤廃案の廃案はともにわが国民を傷つけ、大東亜戦争の遠因をなすものであった、との考えは昭和天皇のお言葉の中にもある。

 日本人移民がアメリカで反発を買った事例の一つに「写真花嫁」がある。見合いの代わりに写真の交換によって結婚相手を決めるという方便である。花嫁は夫君に実際に会わないで婚姻手続きを日本ですませてから渡米するというやり方で、これがアメリカの公徳を乱すという反対運動が起こった。当時の日本人同士ならさして不都合はなかったに相違ない。しかしいかにも起こりそうな文化摩擦である。先にとり上げた「三菱自動車セクハラ事件」につながる相互誤解の一例である。日本政府は困惑して、1920年を境に写真花嫁の慣行を禁止した。

 トヨタ叩きの理不尽な一連の動きを見ていて、私が期せずして連想したのは以上に見たとおりの20世紀初頭の日米関係である。そして、トヨタ事件とほぼ時を同じくして、反捕鯨団体シー・シェパードの船長が第二昭南丸の防護ネットを切り裂いて船内に侵入したところを捕まって、日本にまで護送され、逮捕されたというニュースが飛び込んできた。シー・シェパードは本部がアメリカ国籍である。所有船の船籍はオランダやカナダやニュージーランドその他であるが、オーストラリア政府が与野党共同でシー・シェパード支援を表明しているのが目を引く事実である。お金を出しているのはハリウッドの俳優やアメリカの富豪である。ここでもアメリカとオーストラリアがつながっているのは思うに決して偶然ではあるまい。

 そう考えているうちに、日を置かずしてアカデミー賞の長編ドキュメンタリー賞に、和歌山県太地町の伝統イルカ漁を隠し撮りした『ザ・コーヴ(入り江)』が選ばれた、というニュースがどんと入って来た。たしか同じ頃にトヨタのプリウスが暴走して止まらなくなってパトカーが駆けつけて停止させた、というまたまた因縁をつけられそうな出来事が重ねて起こって、事と次第によってはトヨタは最終的に米国市場から追放されるのではないか、と心配する向きもあったほどだった。『ザ・コーヴ』の監督がこれは日本叩きの映画ではない、とテレビでしきりに弁解しているのもかえって異様だった。イルカ漁の妨害をして和歌山県警に逮捕されながらの隠し撮りをした二人はシー・シェパードから送りこまれた活動家であることも分った。トヨタ事件との直接のつながりは勿論シー・シェパードにも、アカデミー賞にもないが、白人 植民地主義の偏狭な反日気分の高まりは間違いなくひとつながりのものとして、否応なくわれわれ日本人の肌にからみつくように感じられる。

 だからといって何も驚くことではないし、恐れることでもない。ただ、はっきり言って、歴史は80年ほど逆もどりして、1930年代の日本を取り巻く国際環境に立ち還ったのではないか、と考えずにはいられない。時代が戦争に向かっていくあのときの感情の原型にである。第一次大戦以後ずっと、アメリカとオーストラリアは秘かに手を結んで反日の牙を磨いていた。アメリカが反日で協力し合った最初の国はイギリスではない。これに最近の中国人のあらゆる手段で他国に寄生し、非常識と不衛生と厚顔無恥な振舞いのオンパレードで、がむしゃらな打算で欲望のままに生きようとするあの混沌、地球上に溢れ出した無秩序を加えて考えると、世界はもう本当に第二次世界大戦直前の状態を現出しているように思えてならない。

 いうまでもなく、だからといって、昔のようにすぐには戦争にはならない。艦隊で威嚇する時代ではなく、核ミサイルでさえ現実には使えず、武力による覇権競争ではなく、知力による覇権競争がすさまじい勢いで展開される時代となっているからである。覇権競争、すなわち新しいタイプに形は変えているが、コロニアリズムの戦争は依然として激しくつづいているのである。

 日本は標的にされている。植民地の側にあるのか、植民地を持つ側にあるのか、その両面性を具えているのが昔も今も変わらぬ日本の運命である。そして戦争をしたくてたまらないのは日本ではなく、アメリカのほうであることもまた昔と変わらない。

 トヨタ事件を見ていて、私が国際社会は今や戦前とそっくり同じになった、と言った意味は、各国の国家的エゴイズムの相互に引き合う力学がつねに戦争の予感を孕んだあの時代に似て来ているということにほかならない。そのことを例えば今の経済人はどのくらい自覚して経営に当っているのだろうか、とふと疑問になり、なぜトヨタ事件が起こったかは、NO.1になった驕りや油断を自省するといった道徳的自戒のくりかえし、日本的誠実への立ち還りではなく、それとは逆のベクトルに思い切って身をさらすことなくしては、決して解明されることはないであろう。

◇「第三の開国」とは何か◇

 トヨタ自動車の社長、会長で、2002年から日本経済団体連合会の初代会長でもあった奥田碩氏は、政治や文化に対する発言量の多いお馴染みの論客である。私はいま手許に集められた2冊の著書、講演録、インタヴュー記事など8点の氏の発言をあらためて読んだ。

 中共政府の代弁者である朱建栄氏との対談本『「地球企業トヨタ」は中国で何を目指すのか』(角川学芸出版、2007年)の中から見出し語だけを幾つか拾ってみる。「年間4000万台の生産になっていけば、世界のどこの国でも、まだ実現していない話ということになります」「この自転車が、車に替わったら、たいへんな数になる」「日本の技術で必要なものがあれば、日本は積極的に他国に移転していかなければいけないと思います」「今のトヨタというのは、国際企業であり、地球企業なのです」「地球全体を見ながら、社会、経済の仕組みを作っていかないと、とても21世紀は乗り越えられない」。

 時事通信社「内外情勢調査会」の講演(2003年1月20日)で奥田氏が強調するポイントも、ボーダレスとか多国籍とかいうことで、「国や地域という垣根にとらわれていては、企業も国も、成長できません」としきりに語る。「東アジアの連携を強化しグローバル競争に挑む」の段落では、日本は自らの意志で「第三の開国」を行わなければならない、と述べ、モデルとして考えられているのは予想通りEUの市場統合である。

「第三の開国」は氏のもう一つの著書『人間を幸福にする経済』(PHP新書、2003年)でも熱っぽく語られているモチーフである。幕末と敗戦時で日本は二度外国からの圧力で開国をなし遂げたが、今度こそ三度目の開国は自分の力で行う意識改革でなくてはいけないと述べ、ここでもやはりEUを理想としている。「トヨタは多国籍化が足らない」と語った談話(『朝日新聞』2005・5・10)では、摩擦を避けながらアメリカでの業績を上げて行くには、外国人取締役を増やす必要があり、今まで現地生産やGMとの合弁事業などを進めてきたが、まだまだ「日本企業」のレッテルが取れないとの思いがある、と述べている。

 サブプライム問題に端を発した金融危機はあっという間に世界をまきこみ、周知の通り危機の波及がボーダレスであり、地球規模であったことはたしかに紛れもない事実だった。しかし、危機の克服となると、これは国家単位でなされるほかなかったのもまた明瞭な事態であった。

 EUの成立は多国籍とかボーダレスの理想のように受け取られ勝ちだが、ヨーロッパ世界は6、700年ほど前までまだ国家はなく、教会が国家であり、ラテン語が共通の言語であった。EUは過去のキリスト教共同体に立ち還ろうとする実験であるにすぎない。日本を取り巻く西南アジア、東南アジア、北東アジアは宗教も政体も文化もてんでんばらばらに多様で、ほぼ発展段階を同じくする地つづきのヨーロッパとは根本的に事情を異とする。それに、EUはどんなに拡大してもロシアを仲間に入れることはあるまい。近い将来においてロシアと中国が民主主義国家になる可能性が低いということが、冷戦終結から20年経った国際政治的判断のうちにあると思う。アジア史に特有の専制国家体制の残映を守りつづけるロシアと中国は、近代国家群が国境を低くして仲間に入れるにはあまりに危険が多過ぎる。

 奥田氏はそうした歴史常識に基く現実的判断力を欠いているといっていい。「この自転車が、車に替わったら、たいへんな数になる」は、ご馳走を前にして舌なめずりをする空腹の狼みたいだが、そもそも中国を国家だと思うのは言語も民族もほぼ一つの日本という国のイメージを前提にして大陸を眺めているからである。例えば「清」という国があったが、今はない。支配層の満州人は何処へ行ってしまったのかまったく分らない。戦争中も今も中国という地帯は普通の意味で考えられる国家ではないのだ。

 日本は幕末と敗戦時で二度外圧で開国し、今度は「第三の開国」を自力ですべきだという御説だが、「開国」の意味も目的も私には分らない。法秩序のない中国と共寝するのが「開国」なのか。幕末の開国はともかく、終戦時に「第二の開国」があったといえるかどうかも、私は疑問である。私見では、GHQの占領下に入ると同時にわが国は「マッカーサー鎖国」ともいうべき体制にくり入れられ、今の今に至るまで軍事的にだけでなく精神的にも日本列島の鎖国状態はつづいていると考えるべき有力な判断がある。戦前の日本は勝っても負けてもともかく自分で開戦を決定した。この自分で、がなによりも肝心なのである。戦前の日本は鎖国状態ではなかった。戦前のほうがはるかに戦後より日本人は健全だった。この判断が奥田氏にはない。

 トヨタが翻弄された今度の事件は、新社長が弁解した企業の急成長の無理が祟った過失という面よりも――不具合によるリコールは米国車にもドイツ車にもいくらもある――小さなスキを突いて襲いかかったアメリカという国家が発動した国家的行動である。世界の政治はグローバルでもボーダレスでも多国籍でも何でもない。いざとなったら国家単位で行動する。軍事力を使わない軍事行動である。奥田氏のように日本人としての国家意識を持っていない能天気なリーダーが指導していたがゆえに、トヨタは政治的に攻撃されたのである。責任は社長になったばかりの豊田章男氏にはむしろない。『朝日新聞』が「地球市民」という言葉をはやらせたように、永年にわたり「地球企業」などと歯の浮くような甘い概念を撒き散らして、トヨタ社内だけでなく日本社会にも相応に害毒を流していた奥田碩氏の、「マッカーサー鎖国」に全身どっぷりひたっているくせに、自分だけは地球的規模で開かれた国際人の指導者であるかのように思いなした自己錯覚が、今回の自社損傷の破局に至った真の原因である。

 まだまだ「日本企業」のレッテルが取れないとの思いがある、と仰ったそうだが、何という言い草か。自民党という親米政権が倒れて、暗黙の国家的庇護がなくなり、丸裸の状態になったことも今回の悲運につながるとの観測はそれなりに納得がいく。同盟国の企業は相互信頼の目で大目に見ることがある程度までいえる。どこまでも「日本企業」であることが生き残りの要件ではないか。韓国の李明博大統領は官民一体となって世界市場を開拓し、日本が得意とする原子力発電で最近日本を出し抜いてアラブ首長国連邦との巨額契約を獲得した。「韓国企業」のレッテルが取れないので困っている、などと彼らは口が裂けても言わないであろう。「日本企業」であることをさながら悪であるかのように言い、国家の庇護を受けながら国家と国民に利益を還元するよりも自社の利益の拡大のみを考える、愛国心のない企業なら、トヨタは中国へでも何処へでも行って欲しい。中国で痛い目に遭うのが落ちである。世界の各企業は多国籍のように見えて、それは外観か衣裳かであって、じつはナショナリズムで動いている。

◇亡国の経済人◇

 経済諸団体の代表者として発言量も多く、政界に影響力の大きい人は奥田氏のほかにも数多いが、判で捺したように思想は似ている。通称「御手洗ビジョン」といわれる『希望の国、日本』(日本経済団体連合会・2007年)の冒頭の標題も「グローバル化のさらなる進展」である。今後10年間に予想される潮流として「ヒト、モノ、カネ、情報、技術の国境を越えた流れが拡大」し、「第三の開国」「内なるグローバリゼーション」などが求められると、似たような用語が並ぶ。そして、私にいわせれば一種の日本国家の解体論に通じる道州制のすすめにも言及している。

 経団連会長として同書をまとめた御手洗冨士夫氏はキヤノン社長時代、「グローバル企業の社会的責務」(『国際問題』2005年10月)で、キヤノンが他の国に進出し、他の国で経営に成功するために「世界人類との共生」を説いて、現地社会との共存共栄が必要だと唱えているが、そのこと自体は理解することができる。他の国に溶け込む心得を説くのはいい。しかしそれはどこまでもキヤノンの会社の事情である。それを拡大して、日本国家の改革論にまで説き及ぶのはおかしい。『希望の国、日本』ではグローバル企業の倫理を拡大して、行財政改革や教育再生、公徳心の涵養まで説いている。しかし日本の国民教育はグローバル企業の従業員になるためにあるのではない。同じキヤノンでも元社長の賀来龍三郎氏には確たる国家観があり、愛国心があり、企業活動はどこまでも日本のためであって、その逆ではなかった。世代交代して御手洗氏になってからは「日本のため」は消えた。

 私はこの十数年間、財界人の政治発言が気になって注意深く見守ってきたが、富士ゼロックスの小林陽太郎氏と日本アイ・ビー・エムの北城恪太郎氏の財界代表としての発言内容が長期にわたりいちいち気に障り、不快だったのを思い出す。最近でも小林氏の「(中国は)平和の国、文明の国、周囲に親しまれる国という点では、日本やアメリカにも通じる」(中国国際放送局、2008年12月10日)は、いったい何だと思った。チベットやウイグルのことは考えたことがないのか。中国国内の人権侵害は見て見ぬふりか。

 外国を信じるのは決して悪いことではない。しかしそれはどこまでも自分の価値観、自分の原則をしっかり保持し、相手との相違を確かめ、いざというときに自分を貫く意志を内心に深く蔵している場合に限られる。

 その意味で小泉元首相の靖国参拝に対する諸氏の拒否反応は、決定的意味を持つ。

「首相の立場で参拝することが中国国民の感情を逆なでしたり、首脳会談の妨げとなったりしている」(小林陽太郎氏、『読売新聞』2004年9月21日)。

「中国には日本の首相がA級戦犯を合祀している靖国神社に参拝することを快く思っていないという国民感情がある。日本に対する否定的な見方、ひいては日本企業の活動にも悪い影響が出ることが懸念される。総理には参拝を控えて頂いた方がいいと思う」(北城恪太郎氏、2004年11月24日の経済同友会記者会見にて発言)。

 2006年6月16日付『朝日新聞』によると、トヨタ会長奥田碩氏がTBSの番組で次期首相(安倍晋三氏のこと)は靖国神社に「行かなければいい」と語った。氏は2005年9月に胡錦濤国家主席と北京で極秘に会談し、日中首脳同士の話合いが途絶えているのはまずいので、次期首相に靖国不参拝を求めた、と語った。

 同じく経済同友会の北城恪太郎代表幹事は2006年6月15日の記者会見で、小泉首相に変更の気配がないので「アジア経済の良好な関係を望む人々の関心は次期首相の考え方に移っている、という見方を示した」。

 安倍政権は2006年9月に成立した。安倍氏の選んだ最初の訪問国は中国であった。氏の靖国不参拝は――参拝を国民に固く約束していた人であっただけに――関係方面に大きな驚きを与えた。財界からの強い要請があっての方針変更であったというウラの事情がこうして明らかになったのだが、これは経済が政治を動かした悪い徴候の一つだった。経済人には国家観念がなく、国境意識さえ怪しい。商売ができれば何でもいい。商品が売れればそれが人生のすべてだ。そういうひとびとが群がって政治を動かし、外交をねじ曲げたのだった。

◇米中両国による再占領◇

 中国が本当に日本と商取引をしたいのなら、中国が靖国に我慢すればいいのだ。日本は中国に待たせればいい。私などはそう考えている。靖国は内政問題である。歴史は各国独自のものがあって、東アジアに共通する唯一の歴史なんてあるわけがない。

 期待された「保守の星」であった安倍晋三氏はこの最初の躓きが仇となってつぶれたのだと私は見ている。保守の看板が泣いたからである。彼が左へ左へとウィングを伸ばして勢力を広げようとすればするほど、彼を支持していた保守の固定層が失望して、離れた。保守層の自民党離れは安倍氏の靖国不参拝から始まり、麻生内閣への絶望――例えば田母神事件で見せた麻生氏の裏切り――にまでつながって、結果として自民党が崩壊した。

 ではなぜ靖国や歴史教科書や拉致の問題がトヨタの車が世界で売れることよりもはるかに日本国民にとって重大であるか。奥田氏、小林氏、北城氏がどうしても解ろうとしない肝心要のポイントだけをお教えしておく。

 トヨタは今回、アメリカという旧戦勝国の一つから国家意志の発動ともいうべき攻撃を受けた、と私は書いた。同様に、中国というもう一つの旧戦勝国にトヨタは縋ろうとして、膝を屈した。技術でも何でも差し上げます、首相の靖国参拝はさせないように工夫します、ご安心下さい、中国人のいやがることはさせません、とすり寄って、何しろ「日本企業」であることを止めていいのです、中国と手を組んで大陸で4000万台を合弁で作る「地球企業」になりたいのです、と訴えかけていたわけだが、中国の側は近頃、国産車を作るからトヨタは間もなく要らなくなる、と言い出しているそうである。しかしともあれこの間に日本の首相の靖国参拝はさせないようにした。歴史は共同研究で枠をはめた、と一歩も二歩も政治的布石を打ってきている。いうまでもなく、中国もアメリカ同様に旧戦勝国としての国家意志を発動させているからである。日本だけがそれができていない。敗戦国の上塗りをしている。商人が外交を動かし、セールスマンが政治を導いているからである。

 冷戦が終わってから20年、米中の谷間にあって日本が両国から威嚇され苦境に立たされることは前からある程度予測がついていた。日米中三国同盟を作るような平和方向を目指せばよいのではないかと簡単にいう人がいるが、日本が軍事的主体性をある程度まで保持しているのならそれも可能だが、現状では第二次大戦の戦勝国のイデオロギーの枠組みにがっちりはめこまれてしまうだけである。すなわち、かつての日本政府が共同謀議で世界征服を目指してアジアを侵略したという荒唐無稽な物語(東京裁判史観)を順守することが求められつづける。間もなく「戦後100年」が見えてくるが、そうなっても日本は自分の歴史を取り戻すことができない。「マッカーサー鎖国」が延々とつづく。米中両国による再占領はすでに始まっているが、それは歴史認識、日本国民にあらためて罪の意識を植えつける歴史の物語の新しい捏造に始まり、太平洋全域の米中二国による共同管理の固定化に終わる。日本の教育や政治の内容にまで干渉の手が入り(今だってアメリカはある程度までそうしているが、中国が参加してズタズタになる)、日本国家改造計画が推進されるようになるだろう。

 そうさせないためにもわれわれは自国の歴史の復権ということを最優先する必要があり、トヨタの車が地球の涯まで売れることよりもそのほうがはるかに大切だと私が言っている所以である。なぜなら国家意識の欠如こそが日本人の病いであり、その回復はひとえにただ歴史の自覚から可能になるからである。靖国や歴史教科書や拉致の問題は民族が自分を取り戻せるか否かの試金石である。

日本人は今まで、日本に経済力があるというだけでそれを国際社会の中での政治力と誤認してきた。外交も防衛も経済力に肩代わりさせてきた。しかし経済力がそのまま何もしないで政治力になるわけがない。そう錯覚する時代は終わった。それを終わらせたのも中国の台頭である。

 以前からアメリカの経済力は政治力でもあった。経済が牙を持っていた。経済で戦争をしていた、と言いかえてもよい。日本の経済には牙がなかった。軍事力を使えないからカネを出す。アメリカとは逆だった。しかし貧しかったはずの中国の経済には最初から牙があった。日本から援助を受けながらアフリカに援助して、政治力を育てていた。

 経済が牙を持たない限り、すなわち経済が国家の権力意志を示す政治の表現にならない限り、経済が自分を維持することさえ難しくなる隘路に今の日本は次第に追いこまれつつある。

 そのことにいまだに気がつかないのは、本論で問題にした現代日本の経済人である。経済は経済だけで自立していて勝手に翼を広げられると思っている。経済人が政治に目ざめ、国家意識の所有がいかに必要かを自覚しない限り、アメリカと中国の両サイドからの見えざる国家意志から今後もはさみ打ちされ、もてあそばれることになるだろう。

 アメリカの公聴会に呼ばれたトヨタの社長は礼儀正しく誠実だった。ハイウェイの追突は悪意ある演出だと世間に知れて、アメリカの世論の追撃も一休止するだろう。社長はアメリカで謝罪して涙を流した。そしてその足で中国へ飛んで再び謝罪した。謝罪した以上、訴訟は必ずあり、巨額の弁済を求められるだろう。しかし、アメリカ市場からトヨタ車が追い出されてしまうという悲劇には至るまい。

 それでもこれはトヨタの逸脱ではなく、アメリカの国家悪の表現であった。この国が手負い獅子である限り、何度も似た事件が日本の産業に仕向けられてくる可能性を残している。唯一の教訓は、これにより第二次大戦が日本の始めた戦争では決してなかったこと、戦争をしたがるのはいつでもアメリカのほうであることを、世界の今の心理的諸状況から誰でもが推察できるようになったことである。トヨタ事件は歴史のいい教科書にもなる。

引用記事の著者の主義・思想云々に若干頂けない面が有りますが、辛辣且つ阿漕な企業、企業人に対する痛烈な批判は喝采足るものです。人で無しがトップを取ると碌な事にならないのも理解出来ます。グローバルスタンダートなる妄言に毒されて、可笑しな国際人になろうとしている輩のオツム加減が素晴しい限りです。

新自由主義信奉者は、嗚呼云った輩ばかりです。お金儲けの為なら何処にでも諂うのです。中共で有れ、アメ公で有れ、強いては露助でも、増しては印度でも、お金儲けになるのならば、どんな不逞な国でも、終いには何処ぞの独裁国家でも相手にしちゃうのです。それが売国商人なのです。広義的に云えば売国奴です。

国際化を標榜している処は大概そんな輩です。お金儲けの為なら人は物なのです。嘗ての日本型経営風土に有った人情と云うものが一切有りません。唯一の特性を捨て去った処に愛社心等有ろう筈も有りません。増してや愛国心等有る筈もありません。あんな風土ではモラルハザードが連発続出するのは当然な事なのです。

だから日本民族が唯一保っていた特性の勤勉が喪失し、日本民族が怠け者に溢れている事になったのです。勤勉であれを躾ける機会が一切無かった世代が社会に突出仕始めた、怠け者が横行する風潮を醸し出す社会等、色々と複雑に絡み合って相乗効果となった様です。

で、そんな輩ばかりとなった日本国に、時の大国が狙い撃ちする程の価値が有るのかです。現時点では。かなり目減りはしたが、それでも巨万の富が有る為に、時の大国がしつこく狙ってくるのです。日本国に価値が無くなった時は、極貧国に堕ちた時であり、滅亡なのです。人的資源は既に嗚呼ですので、かと云って奴隷にする価値すらなく、日本民族殲滅がオチとなります。譬え、回避の為に策略を施しても、タイムリミットが延びるだけに過ぎず、結末は不変なのです。


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