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じぶんをみてみようや・・・。

【週末に読む】チベットへの理解
5月10日16時12分配信 産経新聞

 いまほど日本でチベットに関心があつまっているときはないだろう。いいかえると、これまで日本でチベットは、すっかり忘れられていた。

 たとえば、日本人の多くはパンダを中国の象徴的な動物と思い込んでいる。じつは、おもな生息地はチベットなのに、その事実は無視された。

 チベットと日本のつながりを考えるとき、先人の偉業がよみがえる。日本人としてはじめて鎖国時代のチベットに入国した人物は、よく知られている。

 河口慧海。大阪・堺出身の禅僧である。いまから約100年前、仏教の原典を求めて単身でヒマラヤを越え、4年がかりでラサにたどりついた。

 その名著『チベット旅行記』全5巻(講談社学術文庫)は、いま読んでも圧倒される。当時のダライ・ラマ13世に謁見するシーンは、印象に残る。

 「なかなか利かん気なお顔で、お声に威厳がある」

 そのとき、法王の言葉から慧海は微妙な国際関係を読み取る。鎖国政策は宗教的な理由だけでなく、英領インドに対する強い警戒心をうかがわせた。

 それから約10年後、慧海は再びチベットを訪れる。その記録『第二回チベット旅行記』(同)によると、この国は見違えるほど様変わりしていた。

 以前は親露反英の政治路線だったのに、いまや逆に親英反露の空気が感じられる。大国にはさまれた小国の苦渋をにじませた。

 「国益を守らねば、わが教法も立たぬという考えが盛んになった」

 二回にわたる足跡において、慧海は宗教人ながら驚異的な探検家であった。さらにかの地の風俗などを記述した民族学者としてチベット学の開祖となった。

 慧海から約30年後の第二次大戦中に、チベットに足を踏み入れた青年がいた。内モンゴル日本大使館員の木村肥佐生である。

 戦後に発表した著書『チベット潜行十年』(中公文庫)は、いまや貴重な記録となった。中国によるチベット侵略以前の最後の姿を伝えているからである。

 「戦時中にチベット人の日本びいきは、たいへんなものだった」

 ラサの町で中国人が戦勝の提灯行列をしたとき、チベット人たちは投石を浴びせた。チベット滞在中に、木村自身も革新的な青年グループを支援した。

 戦後に木村は亜細亜大教授となり、インドに亡命したチベット難民たちの救済に奔走した。埼玉県の病院の協力で難民のこどもたちを受け入れた。

 そのなかから桐蔭横浜大教授のペマ・ギャルポ氏らの人材が育った。医師や外交官も巣立った。

 チベットに対する深い理解において、文化人類学者の川喜田二郎を忘れることはできない。木村の著書の解説で熱烈に語った。

 「チベット文明ほど誤解されているものはない」

 チベットは中国とは別個の偉大な独自文明であることに、気づかない人が多い。私たちは、そのことを理解し直す必要がある。

 「不幸なるチベットのために。そして明日の人類のために」

 上野のパンダを惜しむなら、チベットの不幸こそ思い起こすべきであろう。

 (山田愼二)


いや、まともで生真面目な方々なら西蔵の件を理解しようとしているでしょうが、ネット上で大騒ぎしている輩は単なる騒ぎに乗じただけです。所謂、特定近隣諸国が嫌いな差別主義者等が似非人権主義を掲げて騒いでいるに過ぎないのです。興味が失せれば、忽ち収束化します。例の日頃の憂さ晴らしに利用している輩です。

自国での死刑制度大賛成且つ軽犯罪でも死刑死刑と喚きたがる一方、中共の死刑制度大反対且つ隷属民族に対する弾圧行為を非難すると云う素晴しい論理展開をする輩です。この事から信用に足らぬ云々が何となく理解出来ましょう。本音で云っていると輩は喚くでしょうが、全て他人の受け売りです。全くと云っていい程に本当の持論が有りません。

日本民族特性故です。こればかりは相当期間の教育でしか矯正出来ません。いや、既に遺伝子に組み込まれている以上、難しい問題です。通常は理性で悪しき遺伝子の蠢きを抑えます。それが全く出来ないと云う事は、然るべき理由が有るからです。理性が全くと云っていい程に無いからです。全てとは云っていません。日常生活に於いて、理性が全く無かったら、輩の殆どは病院送りか投獄されています。

理性が辛うじて働いているからです。辛うじてと云う文句から察する事と思いますが、輩の殆どは自ら若しくは外界から抑圧されているからです。不運も若干有りましょうが、大抵は自らの努力不足から招いた結果です。自らの事を棚に上げて、全ての自分の不幸は全て他の所為にする思考は何故か共通なのです。程度の低い人間程、そんな巫山戯た傾向が有ると云う先人の教えも大したものです。

面白い事に自己矛盾や論理破綻しても他人の受け売りが正しいと何時までも信じ切ります。大昔は嗚呼云った輩には宗教が有効でした。これで常識人に近付いたのです。現在の我が国の様に無宗教が当たり前となってしまった現状で、ネット社会が構築されるまで輩の居場所が全く有りませんでした。ネット社会初期からの民族差別主義団体の工作活動で次々と引っ掛かり、今の大騒ぎしている輩が生まれたのです。あの他人の受け売り文句は工作活動の副産物なのです。


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