まあ・・・ええんじゃない?

勝手気儘にだらけたお話しませう。








  • 2017/08 «
  • 10 
  • 11 
  • 12 
  • 13 
  • 14 
  • 15 
  • 16 
  • 17 
  • 18 
  • 19 
  • 20 
  • 21 
  • 22 
  • 23 
  • 24 
  • 25 
  • 26 
  • 27 
  • 28 
  • 29 
  • 30 
  • » 2017/10

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。


だましあうせかいで・・・。

石油問題の"ウソの顔"(1)/養老孟司(東京大学名誉教授)
2008年8月11日 VOICE

語られなかったピークアウト

 昨年から温暖化狂奏曲が始まった。かなりウルサイ。かくいう私も参加していないわけではないから、他人のことはいえない。でも世界的規模で、ある種の社会的な動きが広がる時代であるらしい。さまざまな面でのメディアの発達が、政治だけでなく科学をも巻き込むようになった。こんな時代を私は知らない。
 
 新しい局面が生じたということは、健全な用心がいるということである。とくに科学者なんて世間知らずのはずだから、危ないものだと思う。社会政策の決定に科学はどの程度絡んでいいのか。自戒を込めていう。
 
 先日NHKが、新聞でいえば論説委員に相当する中堅を集めて、温暖化問題に関する数時間の討論番組を放映した。私はたまたまそれを見てしまった。NHKの意見はいわば公論で、世間の一般的意見を代表すると考えていいであろう。
 
 こういう場合、私が気にするのは、そこで語られた内容の是非ではない。「何が語られなかったか」である。当然関係があるはずなのに、何かが語られていない。それならそれは、ここで語るに値するかもしれない。
 
 そこで語られなかったこと、その典型は石油問題である。石油は10年以内にピークアウトする。専門家はそういう意見のはずである。しかしそれは、これまで世間の表にほとんど出てきていない。むしろマスコミが扱わないというべきか。関心のある人は、デヴィッド・ストローンの『地球最後のオイルショック』(新潮社)、あるいはポール・ロバーツの“The End of Oil”(Mariner Books)などをお読みいただければいい。
 
 もちろん石油問題は温暖化問題、エネルギー問題のすべてではない。しかし石油がもっとも重要な要素であることは、論を俟たないであろう。日本人が原子力に関してきわめて敏感なのに、原発が推進されてきたのは、日本がまったくのエネルギー消費国であることに加えて、「石油の一滴は血の一滴」という戦争の教訓があるからに違いない。
 
 石油のピークアウトとは、どういうことか。需要増に供給が追いつけない状況が起こることである。石油の需給曲線は、これまでひたすら右肩上がりを描いてきた。需要は増えつづけ、供給はそれをきちんと補ってきた。おかげで原油価格はほぼ一定に抑えられてきた。それが不可能になるのがピークアウトである。
 
 アメリカ一国をとるなら、ピークアウトが生じたのは1970年ごろである。だから73年には第一次オイルショックが発生する。アメリカはそれまで自国産の石油で需要を賄うことが可能だった。それが石油の輸入国に転じた。石油がなくなったわけではない。国内需要を国内供給では満たせなくなったのである。おかげで原油価格が高騰し、ひいては世界的不況となり、今度は原油価格が下がった。まだ石油の供給には世界的に十分な余力があったからである。
 
 それ以後、世界の60カ国がすでにピークアウトした。ストローンはそう書く。「地球最後のオイルショック」とは、いわば地球全体が「輸入国」になる日のことである。もちろん地球に石油を輸出してくれる星はない。
 
 実質的なピークアウトは、すでに生じている。私はそう思う。5、6月に私は2度ラオスに行って不在がちだったが、帰国後にたまたまテレビで見た最初のニュースは、日本海のイカ釣り漁船が燃料高騰で仕事にならない、操業をやめるというものだった。さらにこの夏、ブータンに行こうと思って予約を頼んだら、ここ数年は毎日飛んでいたブータン航空が週2便に戻ったので、予約が大変だといわれた。燃料費が直撃する分野では、ピークアウトで予想される出来事が、すでに始まっている。原油高のかなりの部分はヘッジファンドのせいにされているが、現代のように情報化が進んだ社会では、実質的なピークアウト以前に、仮想ピークアウトが来てしまうのがむしろ当然であろう。
 
 イカ釣りのニュースと同じ日にBBCのニュースも見た。英国政府は当分のあいだスタグフレーションを予期している、との淡々とした報道があった。いまさら外国なんか引き合いに出していいたくないが、「翻って日本は」どうなのか。
 
 このまま温暖化すれば、50年後に地球はこうなる、ああなるという。地球シミュレータによれば、の話である。説得力をもたせるつもりか、NHKは地球シミュレータつまり大型コンピュータを画面に映していた。しかしどのコンピュータであれ、要するにただの黒い箱である。計算が違っていたら、シミュレータに責任をとらせて、ブチ壊せば済む。官僚好みの機械ではないか。コンピュータの結論に従って、いまからこういう手を打つ。2050年には炭酸ガスを半減する。それが「倫理」だ。洞爺湖サミットでリーダーシップをとらなくちゃ。
 
 「アノー」と私は小さい声でいいたい。石油はどうなりますか。経済は大丈夫でしょうか。テレビ局や新聞の皆さんの給料は当分は保証されるし、大臣や官僚は絶対に大丈夫でしょうが、イカ釣りだけじゃない、農業を含め、燃料ギリギリでやっている業種はどうなりますか。車がないと暮らせない田舎はどうしたらいいんでしょう。あれこれ手を打ったほうがよくないですか。運送費は上がりつづけるはずですが、物流をどう合理化すればいいのでしょうか。何か私にできることがありますか。
 
 「欲しがりません、勝つまでは」。結局はそういわれそうな気がする。この標語の下で戦った戦争は負けた。現在の原油高が続けば、あるいは下がっても高止まりするなら、必ず不景気になる。不景気下の物価上昇、つまりスタグフレーションである。そこでは省エネは掛け声ではなく、たんに実質的な生活上の問題となる。つまり官民挙げて大声で省エネを説教する必要が、どこにあるのか。


誰に向かって倫理を説いているのか

 いわゆる温暖化問題は、知恵者が考えた、ピークアウトに掛けた煙幕ではないか。私はそれを疑っている。クリントン政権の副大統領だったゴアが大声を出し、それに対してノーベル平和賞が出たのもにおう。いわば欧米がグルになっている。ゴア自身は自宅の過大なエネルギー消費を批判されたが、そもそも炭酸ガスを出さないようにするのが「倫理」だというに至っては、笑うしかない。政治家に倫理を求めるのは「八百屋で魚を買おうとするようなもの」だからである。政治は倫理ではない。現実の取り扱い方である。その政治家が「倫理」だというのでは、本気のはずがない。何かの宣伝に決まっている。
 
 ゴアの書物を読めば、あれが一種のデマゴギーであることは、明白である。たとえば後半は禁煙キャンペーンになっている。いまは世界的に禁煙運動ブームで、喫煙の味方をするのはアホだけだが、ここでの議論は、喫煙問題自体には関係がない。ゴアの考え方の是非である。
 
 政治家が禁煙運動を利用した最初は、アドルフ・ヒットラーであることは、銘記すべきであろう。ヒットラーはドイツ国民の「健康を重視」し、全国的な禁煙運動を行ない、優生学に基づき、重度の知的障害者、精神疾患者の安楽死を実施し、最後には「ユダヤ人問題の最終的解決」としてのホロコーストに至った。政治家や官僚が「人類の健康を重視」するなら、ナチスと自分との違いは何か、そうした運動の「最終目的」とは何か、それらを明白にする義務があろう。むろん以上はただの嫌みである。
 
 大切な姉が肺ガンで死んだことについて、ゴアは姉の喫煙が原因だという医師の説明を無条件で受け入れる。ガンの原因がそれほど単純なら、とうの昔にガンの予防は終わっているはずである。私は因果関係に関する、現代人のはっきりいえばアホさ加減が、ほとんど我慢ならないときがある。
 
 私がいちばん問題を感じるのは、ゴアにとってたいへん良い姉だったことについて、タバコが貢献した可能性を、ゴアが一顧だにしていないことである。「あの人は酒を飲まなければ、いい人なんだが」という表現を考えたらわかるであろう。酒を飲むことはその人の一部であって、飲んでストレスを発散するおかげで、飲まないときには、いい人でいられるのかもしれない。おそらくゴアのような家族に囲まれていた姉にとっては、タバコでも吸わなきゃ、やってられなかったのであろう。それが無意識にわかっているからこそ、ゴアはタバコを目の敵にしたのかもしれない。姉の死は自分のせいじゃないよ、と。
 
 物理的な世界では、因果関係は単純である。石油は使っていれば、やがてなくなる。そんなことは、小学生だってわかる。しかし人の身体というシステムは、物理学と同じような自然科学の対象であっても、その複雑さは言語に絶する。それは必ずしも話をごまかすためではない。人体を構成する細胞は10兆の桁に達し、1個の細胞に含まれるタンパクの種類は2万といわれる。そうした構造が「生きて動いている」ことを、どう「説明」すればいいのか。そこに、ある特定の化学物質を放り込むのがクスリだが、その結果何が起こるか、どこまで正確に説明が可能だと信じているのだろうか。科学と政策の関係を私が憂慮するのは、そうした基礎的な点について、科学者のあいだですら、一般的な合意がないことを知っているからである。
 
 石油から話がそれたが、温暖化キャンペーンの背景が私は本当には理解できていない。反捕鯨運動や禁煙運動によく似た構造をしていると思うだけである。こうした動きは、世界的に大きく広がってしまうので、誰がどういう意図で始めたのか、よくわからない面がある。ただ、いずれもが欧米的な価値観の産物であることは疑いない。ゴアはいったい誰に向かって倫理を説いているのか。
 
 石油消費、エネルギー消費が急速に増えたのは、中国やインドが「発展」しはじめたからである。個人当たりのエネルギーを世界でいちばん消費するのはアメリカ人である。日本人の4倍になる。それならゴアはアメリカ人に説いているのか。一見そう見える。
 
 しかし、政治家が不人気な倫理だけを選挙民に説くはずがない。ゴアの倫理は、アメリカを透過して、インドや中国に向いているに違いない。少なくともブッシュの任期満了まで、アメリカのエネルギー政策は実質として変わらないはずだからである。アメリカにおける石油の使い放題は、当面は安心していていい。だからゴア自身はエネルギーの使い過ぎでも平気なのである。一方にその安心がなけりゃ、アメリカの政治家が、炭酸ガス排出を制限すべきだなどというわけがない。脚下照顧。
 
 そのブッシュが、つい先ごろ、鎧の陰から衣の袖を見せてしまった。「昨年の穀物不足は、インド人の中産階級3億5000万人が余分に穀物を食べ出したからだ」といい、ただちにインド政府の強い抗議にあった。「アメリカ人は個人当たり、インド人の5倍の穀物を消費しているではないか」と。
「俺たちはやってもいいが、おまえらはやるな」。欧米の心理はそれであろう。それには産業革命以来のいわゆる近代文明、私が石油文明と呼ぶものを創り出したのはわれわれだという、暗黙の矜持があるに違いない。アジア人なんて、真似しているだけじゃないか。
 
 それなら洞爺湖サミットとは何だったのか。日本の立ち位置はどこなのか。先んじて欧米化したアジアの国として、中印にどんどん「発展」せよというのか。欧米の本音のように、おまえらの発展なんて、迷惑だからやめろというのか。いったいどっちなのか。
 
 日本政府の言い分が、日本人の私にすらわからないんだから、諸外国にわかるわけがない。そこをいわずにごまかして通るほど、世界という世間は甘くない。
 
 世界中で仲良く炭酸ガスを半減しましょう。そういうことか。世界の炭酸ガスを増やすのに寄与しているのは、この日本国ではない。大排出国は米国、中国、EU、インド、ロシアなどであり、そこの炭酸ガスが減らなけりゃ、実際の効果はない。日本人が全員息を止めて死んでしまっても、炭酸ガスの5パーセントも減らない。 じゃあどうすればいいのかって、もともと自分の問題じゃないものまで自分の問題みたいな顔をしたがるから、訳がわからなくなる。日本の寄与率の範囲で行動するしかない。本気で2050年までに日本が半減するというのなら、結構なことである。ただし不言実行。しかも実行したとして、日本だけなら、世界の炭酸ガスの排出量の2パーセント減程度にしかならない。「あとは知らないよ」とはっきりいうべきであろう。
 
 イヤ、日本が一生懸命やったら、それを諸外国が認めてくれるはずだ。冗談でしょ。この前の戦争だって、特攻隊を出すほどに一生懸命にやった。あれ以上、一生懸命になれるというなら、どうすりゃいいのか、教えてくれ。その結果、世界の誰が、何を、「認めてくれた」のか。
 
 日本艦隊がインド洋で給油をする。それが「国際的貢献」であり、大いに感謝されている。政府はそう主張する。そもそもタダで油を配って感謝されなかったら、怒り出すしかないではないか。でも給油とは炭酸ガスを増やすことですよね。炭酸ガスを増やしても、「国際的には大いに感謝される」んですよねえ。

石油問題の"ウソの顔"(2)/養老孟司(東京大学名誉教授)
2008年8月11日 VOICE

「本を絶つ」のが、いちばんもっとも

 もう1つ、NHKの討論で触れられなかった問題がある。それは石油の供給制限の問題である。日本ではコメの生産調整が人気が悪い。わが家では、女房殿まで、なにが生産調整なんだ、と議論を吹き掛ける。
 私は古い人間だからいう。ABCDラインはどうなったのだ、と。昭和16年、アメリカ、イギリス、中国、オランダが、大日本帝国に対して石油を禁輸した。それが戦争の直接の原因であることは、明らかであろう。軍部のアキレス腱が切られそうになったからである。
 
 そんなことすらできたんだから、生産調整くらい、なんでもあるまい。たとえば今年を基準年として毎年1パーセント、石油供給を減らす。当然ながら石炭を含めていい。温暖化ガスは石油によるだけではないが、ともあれ、わかりやすいように、50年後の石油半減をめざす。簡単じゃないですか。
 
 それで困るのは誰か。私にはわからない。年に1パーセントは大きな数字ではない。それでもかなりの実効があるはずである。どうせ石油は10年以内にピークアウトするのだから、もうピークアウトしたものとすればいい。
 
 それなのに、消費をあれこれ制限しようという「精神運動」を始めた。いったい石油の使い道って、どれだけあるのか。小さくは宅配便からジェット燃料まで、電気からプラスティック製品まで、考えただけで気が遠くなる。それを「節約せよ」って、アンタ、どこまで本気か。総量制限をかけなかったら、私が節約した分を、誰かが「いいように使ってしまう」のを、どう防ぐのだ。インド洋で使ってしまうかもしれないじゃないか。
 
 臭いにおいは、本から絶て。サミットでなぜそういわなかったのか。産油国はけっして多くない。少なくとも消費国より少ない。産油国のなかには、ノルウェーのように、北海油田からの収益を政府の公社に入れて、現在のノルウェー国民のためには使わないとしている国すらある。それならノルウェーには、当面は石油を掘らないでいただけませんかと、お願いしたらいい。
 
 石油問題について、私はまったくの素人である。でも「本を絶つ」のが、いちばんもっともな解答じゃないのか。それをやらないについては、やらない理由があろう。だから右に述べたように、「節約せよ」と説くだけが目的じゃないかと疑う。節約せよという相手は、それなら消費国に決まっている。当面は中国とインドだし、日本もオミソで入っているかもしれない。おまえらは二流市民なんだから、我慢すりゃいいだろ。それが本音だろうと私は思う。
 
 そもそも欧米人くらい、いわば手前勝手な人たちが、本当に地球が危ないと思うのなら、「本を絶つ」という手に出るはずである。どう考えたって、それがいちばん確実でしかも単純なんだから。それでも石油を増産する国には、イラクと同じで「侵攻」すればいい。大量破壊兵器でも何でも、理由はいくらでも付けられるであろう。あとで「そんなもの、ありませんでした」で通る世界である。
 
 しかもそれによって、産油国も石油会社も得をする。石油のピークアウトは遠のくし、どうせ原油価格は上がるのだから、当分は困らない。それどころか、エクソン・モービルなんて、会社として米国史上最高の利益を出している。イカ釣り漁船の補償は、石油会社にしてもらったらいかが。
 
 何より不思議なのは、温暖化狂奏曲のなかで、「本を絶て」という意見が出ず、それがなぜかという質問も、当然出ていないことである。サミットに世界中から偉い人が集まるなら、どうしてそれが出ないのか。NHKの委員たちはどう思っているのか。
 
 そこに暗黙の了解があるのなら、それが何か、メディアに教えてもらいたい。もしそれがないというのなら、現在の温暖化キャンペーンはデマゴギーだと断ずるしかない。
 
 それにも利益がないとはいわない。省エネは必要だからである。しかし原油価格が上昇すれば、ひとりでに省エネにならざるをえないことは、ガソリン代が上がって、東京の高速道路の渋滞が緩和したということでもわかる。要らないことは、市民はしなくなるからである。じゃあ、温暖化対策に金を掛けるとして、どこにどう掛けるのか。
 
 要するに庶民は(懐かしい言葉だが)電車に乗ればいい、自転車に乗ればいい。さらには歩けばいい。健康にもそれがいい。省エネを政府つまり官僚や政治家、あるいはマスコミに説教される必要なんかない。庶民は周囲の必然に従って行動するしかないので、その必然の条件をまともにつくっていくのが、政治や行政の真の仕事ではないか。禁煙運動ひいてはタスポ、自動車の後部座席のシートベルトなんぞという、枝葉の先のゴミ払いみたいなことをさせるために、国民は官僚に給料を支払っているのか。来るべき世界のために本気で戦ってほしい。
 
 現代の世界情勢は、戦前に似てきている。私にはそう思われる。戦前の植民地支配の代わりに、ソフトな支配が優越してきただけである。欧州は世界基準を自分たちのものにしたがる。科学の世界でいうなら、ノーベル賞は頑として手放さず、将来にわたって、その権威を守るであろう。誰が立派な科学者か、それを決めるのは「かれら」なのである。京都賞ではない。日本のETCは、アジアにもはや入れない。欧州基準になったからである。欧米が悪いのか、アジアがバカなのか。その構図は戦前と同じではないか。


代替エネルギーだってどうせ同じこと

 民族主義なんて、むろん意味はない。大切なことは、何が本質かということである。産業革命以来の高エネルギー消費型の文明に終わりが見えている。好むと好まざるとにかかわらず、その清算に取り掛からねばならない。私はそう信じている。
 
 いわゆる経済発展は、エネルギー消費と並行する。経済学がそれを「発見」するのは1970年以降のことで、しかもそれを発見したのはドイツの物理学者だった。という話をストローンの本で読んで、開いた口が塞がらなかった。素人が口を出す意味があるわけだ。それまで経済学者は、どこを見て、何を考えていたんだろうか。
 
 なぜ文明はエネルギーを消費するのか。その根本はエントロピー問題にある。自然界では、秩序はいわば同量の無秩序と引き換えでしか手に入らない。エネルギーを消費すれば、たとえば石油を燃やせば、秩序正しく並んでいた炭素や水素の原子が、炭酸ガスや水のような小さな分子に代わり、それらの分子がランダムに動き出す。さらに熱が発生し、空気を含めた周囲の分子のランダムな動きを高める。つまり自然界に無秩序が増える。その代わりに、人間社会は何らかの秩序を手に入れることができる。たとえば冷暖房。
 
 機能的に見るなら、気持ちがいいから、冷暖房を入れる。それが普通の解釈だが、それは寒いから服を着る、というのと同じ論理でしかない。じゃあ暑いときには、裸でいいのか。いくら暑くても、裸で歩いたら警察に捕まる。じつは冷暖房とは、気温一定という「秩序」の要求なのである。文明人とは、ひたすら「秩序」を求める人たちである。だからこそ、タバコが気に入らないんだろうが。「勝手に気を散らしやがって」。天皇陛下に拝謁するとき、タバコを吸うやつはいない。
 
 なぜ秩序を要求するのか。意識とは、秩序活動にほかならないからである。意識的にランダムな行動が可能か。それを考えたら、すぐにわかるはずである。意識はランダムに働けないからこそ、サイコロのような単純極まる道具が、古代から残っている。
 
 意識が秩序的であるなら、意識が一定時間存在したら、その分の無秩序が溜まるはずである。つまりエントロピーが増大する。それは脳に溜まる。意識は脳の働きだからである。だからわれわれはイヤでも眠る。寝ているあいだは秩序活動である意識はない。寝ているあいだに、脳は溜まったエントロピーを処理する。それには意識活動と同じエネルギーが必要だから、寝ていても起きていても、脳はほぼ同量のエネルギーを消費するのである。
 
 文明とは意識の産物である。文明とはその意味でつまり秩序であり、あるシステムの秩序はシステムの外部に無秩序を放り出す。それが炭酸ガス問題、環境問題の本質である。ヒト自身は眠るから自分のなかに環境問題を起こさないが、「意識が外部化したもの」としての文明は遺憾ながら眠らない。ひたすら秩序を生み出す。それを一般には「便利だ、楽だ」という。本当か?
 
 通勤電車が時間どおり来るから、時間どおりに会社に行かなければならない。それが「秩序」だが、おかげでストレスが溜まる。現代の勤め人のご機嫌の悪いこと。たまにはデタラメに行動したらどうかと思うが、それは「許されない」。なにしろタバコを吸って気を変えるのも、「健康に悪いからダメだ」という人たちの集まりなんだから。マクドナルドにかぎらず、食品には「食べすぎはメタボを引き起こし、糖尿病や痛風の危険を招き、ひいては心臓血管障害の可能性を増やします」と、注意書きすべきではないのか。タバコを吸って気が変われば、気が変わった自分が何をするか、必ずしも予測ができない。予測ができない、つまりランダムさを増す可能性があるものを、文明人は許さない。だからゴキブリや雑草が嫌いなんだろうが。ゴキブリの行動は、予測不能だからね。こうした暗黙の秩序の金縛りにあった若者のなかから、ヒステリーを起こして、ついにはトラックで秋葉原に突っ込むやつが出たりする。
 
 人間は意識だけで生きているのではない。なんと、人生の3分の1は、確実に意識がない。でも、その時間なんか「ない」と見なすのが文明である。眠って意識がなくたって、身体は生きているではないか。意識こそむしろ、身体の部分的な機能にすぎない。その意味での「全き人間」を、近代文明は忘れてしまった。
 
 石油文明を生み出したアメリカ人も、当然バカではない。石油の終わりを予感した人たちが「情報」に移行した。それがビル・ゲイツのウィンドウズであり、いまではグーグルである。どうせ意識の世界なんだから、徹底的に意識のみにしてしまえ。それがインターネットである。大してエネルギーも食わないしね。
 
 残念ながら、その意識は身体機能の一部でしかない。現代人はそれをしぶしぶ認めて、そのうえで何をするかというと、ジョギングをする。意識で身体をコントロールすれば「健康になる」。そう「思っている」。「思っている」のは意識ではないか。身体は意識より大きい。ゆえに根本的には意識は身体をコントロールできない。できると思う人は、自分の命日を背中に書いて歩いてくれたまえ。
 
 代替エネルギーを私が論じない理由は、おわかりいただけるであろう。どうせ同じことだからである。どこかにエントロピーを増やしてしまう。問題は意識中心主義であって、そこに気が付かなければ、何の解決もない。「起きて半畳、寝て一畳」。寝ているほうが場所を取るというのは、示唆的である。人はどれだけのエネルギーを必要とするか。
『最底辺の10億人』(日経BP社)という本を読んだ。アフリカの貧困を、イギリス人が論じた本である。世界銀行に関係している人らしい。ともあれ、そのなかに名前が出てくる唯一のアジアの国はラオスである。経済統計的には、ラオスはアジアの最貧国なのであろう。昨年秋に、たまたまラオスのお百姓に質問した。「年に何回、米をつくるんですか」。途端に叱られた。「冗談じゃない、あんなシンドイこと、年に1度でたくさんだ」。世界銀行で働く人と、ラオスのお百姓と、どちらが人間として余裕があるのか。
 
 都会人、文明人の身勝手も、ぼちぼちいい加減にしてほしい。稼げばいいってものじゃないだろ。日本が世界で威張る必要もないだろ。お金であれ、他人の評価であれ、「やったこと」に対してあとから「ついてくる」のであって、可能なかぎり稼ごうとか、世界の評価を求めて何かしようなんて、「あらかじめ意識で考えたってムダ」、乞食根性を起こすんじゃない。
 
 会社や官庁なんて、あんなシンドイとこ、週に3日でたくさんだ。あとの4日は自分で薪を集め、木を植え、苗を育て、畑をつくればいいのである。

※各媒体に掲載された記事を原文のまま掲載しています。


稍分裂的です。本人の云わんとする事は恐らく半分より下程度で理解出来ただろうに過ぎないものと思われます。しかも散文的なので、一発で理解出来ないのもあります。ですが、思考を斜め半分に向け、何となく理解出来れば、で十分だろうと思います。そうそう、流れがあるのでそれに乗っかるのも、或る種の意図を理解するのに役立つでしょう。

小難しい文を読む秘訣は、詳細を理解しない事です。流れに乗るのが大事です。そんな大まかな事で云わんとする事が大体理解出来るようになっています。巷で叫ばれている国語力は大して必須ではないのです。そう云った気構えでどんどん難しい本を読んでいきましょう。自然と国語力は学者のあれと同等になる筈です。

詳細に拘り過ぎますと、言葉尻でしか理解出来なくなります。何に付けてもいちゃもんを付けたがる嫌らしい人種に至ってしまいます。反体制側に立つ様な諸機関に所属する人種の類に堕ちてしまいます。毅然とした大人でありたいのなら、そんな気構えが大事です。これはどんな時でも、どんな処でも、相通じる理です。

多少引用記事の意図から外れました。引用記事の大まかに云わんとする事は・・・敢えて語る必要もないでしょう。まあ、悪意が前提の白人至上主義的思考回路が毛唐共に依然として有ると云う事でしょう。他にも云わんとする事項は有りますが、それ以外に主点が有りません。そうなると、毛唐共の目指す将来世界像は、新しい奴隷制度を再構築する事かも知れません。

理想郷を構築するには世界人口を今よりもずっと減らす事です。化石燃料で締め上げて、富を毛唐諸国に集めます。地球にとても優しいとは云えないバイオ燃料で更なる締め上げです。世界的食糧不足を促進し餓死者を大量に出して人口抑制です。そうそう、人口抑制と云えば、ジェンダーフリーなるものを利用し、世の中の女性を洗脳させての少子化も促進です。経済は敢えて危機を演じる事で毛唐諸国へ集中促進です。偶然かも知れませんが、薄っぺらい悪意がどうしても見えてしまうのです。


コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

http://eenjanai.blog41.fc2.com/tb.php/932-f5b560c7

 | HOME | 

広 告



PCのウイルス対策ならエフセキュアインターネットセキュリティ


最近の記事



広 告




ブログ内検索

Google


最近のコメント



最近のトラックバック


月別アーカイブ



RSSフィード


リンク

このブログをリンクに追加する


プロフィール

酔仙

Author:酔仙
昭和時代に生まれる。
今まで勝手気儘に生きてきた。
これからも勝手気儘で生きるであろう・・・。


サイト売買のサイトストック


あわせて読みたい


blogram投票ボタン


メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:


カウンター



現在の閲覧者数:


フィードメーター - まあ・・・ええんじゃない?




上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。